猫と海辺に暮らす翻訳コーディネーターの阿鼻叫喚な日々を綴る日記。

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フサコのこと
ボイトレ、マッサージといった土曜日のメニューをこなし、カフェテリアで夕食をとる。
一見、オシャレに聞こえるけど、いつも空いている席はここしかないというオチ。
そこに行き場のないお一人さまが座っているというだけのことである。

食事とデザートをフルで終え、これからどうしようかとぼんやりとする。そういえば、
先週の土曜日は休日出勤だったし、昨日は宴会だったし、うちに帰って猫と一緒に
寝ようかな、などと考える。

すると、カフェの前を通り過ぎる家族連れ。ベビーカーから小さな小さな靴が、片方だけ
こぼれ落ちる。目ざとく見つけたお姉ちゃんが性別不明の下の子に靴を履かせてあげている。

これを見た私の想いが飛躍を始めた。シリアの子供達は今どうしているのだろう?
国と国との利害の狭間で、どこの国も手を出せない。国連ははなから機能していないし、
制裁決議はいつも通り中国とロシアの反対で通らない。そして、ロシアが武器を売り、
生物兵器使用のニュースにつながる。

私は何もできない、何もできない。

いま目の前にいる可愛らしい子供達と、シリアの子供達の違いは一体何なのだろう。
ミサイルや砲弾が乱れ飛ぶ日々の中、一体どれほど怖い思いをしているのだろう。

これは別にシリアに限ったことではない。

お隣のとある国では、いまだに子供が人身売買の対象だし、臓器売買やSEX産業など、
聞くだけで気が狂いそうになる現実がそこにある。

少なくとも、子供だけは守れないか。

人間の尊厳を考える時、ふとフサコのことを思い出す。イギリスにいた頃、たま
たま私が借りていたフラットの下の階に住んでいて友達になった。

彼女とは出会った瞬間から深い部分の話ができて、しかもお互いの理解力には
ズバ抜けたものがあった。その日もBBCを見ながら、一人ひとりがもって生まれた
意義って何だろうね、などと話していた。

その時テレビに映し出されたものは、病で余命いくばくとない子供が、
チャリティーで訪れてくれた女性に向かい、一生懸命に起き上がろうとする姿。
自分の命が今消え去ろうとしているこの時に、この子はこの女性に神様のご加護が
ありますように、とお祈りしていたのだ。
フサコに向かって問いかける私、

「この世に生まれて5年で死んで行くこの子の人生の意義は?」

え、何、当然のこと聞いてるの?と言わんばかりの顔で私を見つめると、

「今、3分だけでもテレビに出ているじゃない」

そうね、と理解した。この小さな命は、これからいなくなってしまうことが
分かっていても、誰を恨むわけでもなく、泣き叫ぶ訳でもなく、自分のもとを訪れて
くれた目の前の女性に、精一杯のメッセージを返している。

そしてその荘厳な生き様を、テレビという媒体を通して多くの人に視聴されている。
勿論、受け取る側の感覚はそれぞれでも、きっと深くて強烈な何かを人々の心に
残したに違いない。事実、おそらくもうこの世にはいないであろうこの子の事を、
地球の裏側で、今も私が思い出しているのだもの。深い深い反省の気持ちと一緒に。

忘れてはいけない、と思う。

目の前の幸せな日本の子供達を見つめながら、世界の子ども達に想いを馳せた。

フサコとは音信不通。私の人生に大きな影響を与えた人々は、必要なタイミングで
出会い、そしてお互いが何かを学ぶと極端な形で目の前から消えて行く。

アルゼンチンに行ってしまったり、行方不明になったり。

寂しいけど、きっとそれでいいのかも知れない。でもフサコとはどこかでまた
再会を果たす気がしてならない。きっと今この瞬間に、彼女も私を思い出している
に違いないのだから。



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