猫と海辺に暮らす翻訳コーディネーターの阿鼻叫喚な日々を綴る日記。

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戦争の足音
北朝鮮情勢が揺れている。にわかに現実味を帯びてきた戦争への足音。日本を含めた東
アジアは、一体これからどうなってしまうのだろうと、掴みどころのない不安を
覚える。

ほんの2日前のブログで、「永遠平和 のために」に触れ、カントを始めとする
リベラリストはお花畑と書いたばかりである。戦後、ありとあらゆる犠牲を
払って築き上げてきた日本の平和が今、たった1人の狂人の手で奪われようと
している。

戦争の実体験がない我々日本人の大多数が、大きな岐路に立たされている。

東京の街はいつもと変わりのない賑わい。会社でもミサイルが話題にのぼる
ことはなかった。皆、あえて口を閉ざしていたのか。それとも、戦争などという
非日常が入り混む隙がないほどに、日本は平和だとでもいうのだろうか。

ムスダンやテポドンが放たれ、そして、私たちが日常を送るこの街に飛来する。
友と語らったカフェや、恋人とディナーを楽しんだレストラン。一緒に行った
動物園の動物や、歴史的建造物、そして、何より我々一人ひとりが大切に思う人々
や、子供たちの未来が失われていいはずがない。

外交も政治も意味を持たなくなったとき、あらゆる人間の理性的な外交術が
通じない相手であるとわかったとき、我々に 残された最後の手段は、果たして
相手と同じ土俵 の上にたち、振り上げた拳を下ろすしかないのだろうか。

暴力に対する暴力での報復。

以前、少年法が世間を賑わせた時、いくら頭で理解しようとしても、たとえ、
中上健次の著作を読んだとしても、繰り返し私の心に去来し続けた問いかけ。

もし、自分に子供がいたら、そして、その子供が犯罪に巻き込まれなら、
私は未成年であるから、という理由で無条件に犯人を赦すことができるの
だろうか。

アムネスティを始めとする人権団体が唱える死刑の撤廃。これについても
自分の家族を惨殺したり、また、娘を犯した犯人を目の前にして、法の裁きに
委ねられる寛大な精神があるだろうかと不安になる。冤罪、つまり人間が
過ちを侵す生き物である限り、死刑の存在にはいつも危うさがついてまわる。
だた、今の私にはYesかNoを判断することができない。

戦争も同じ。酔った勢いにみせかけて人を傷つけたりする人のように、
普段はいい人でも、戦時下ではむしろ人を殺すことが是とされる価値観の
転換がおこる。

人殺しはよくない、戦争は悲劇と知っていても、自分の子供が殺される
状況を目のあたりにした時、世の親達はどう行動を起こして行くのだろう。

自分に何ら非がなくとも、こうして国単位で戦いに巻き込まれて
いくことがある。そして、まさにこの流れこそが、かつて日本を、
そして、世界を席巻した軍事行動への入り口なのだ。

あまりに当たり前に享受してきた平和な日々を懐かしむ、そんな淋しい
瞬間が訪れることのないように、神に祈るばかりである。


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