猫と海辺に暮らす翻訳コーディネーターの阿鼻叫喚な日々を綴る日記。

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聖フランチェスコ
私はヨーロッパの城郭や教会をめぐるのが好きで、旅行の際には必ず時間を割いて
訪れている。特に教会は長いヨーロッパの歴史の中で、人々の生活に欠くことのできない
存在だっただけに、そびえたつ尖塔はどこの街でも中心に位置していて、そして人の集まる
広場を形成している。

時を告げる鐘の音、少年隊の奏でる聖歌、美しいステンドグラス。中世の時代の教会世界は
勿論、負の遺産であったかも知れない。しかし、いずれにしてもヨーロッパの文化や芸術は、
その基盤にキリスト教を押し抱いている。

小学生の私は、日曜日の午後になると決まってテレビの名画にチャンネルを合わせていた。
その日は大好きなドラキュラ映画を期待していたにもかかわらず、中世の修道士の映画が
始まりとてもがっかりした記憶がある。

一挙に興味の薄れた私は、寝転がって猫とじゃれつき所々画面を拾い見しながら、
いつ外に出て行こうかと悩んでいた。
それからものの5分ほどで、私は画面にくぎ付けになっていた。

映画のタイトルは「ブラザーサン・シスタームーン」

中世の聖人聖フランチェスコの生涯を、歴史を描かせたら右に出る者のいない、フランコ・
ゼフィレッリ氏が監督、脚本。イギリスとイタリア合作で、ロケ地は勿論イタリアだ。

裕福な家庭に生まれたフランチェスコが、戦争を体験することで「生きていること」
そのものに目覚めていく。拝金主義の豪商である父や、理解しようとしてもできない
母を捨てて野に下る。ひとりの修道士になった彼は、打ち捨てられたサン・ダミアノ教会
の再建に取り組み、何ももたず何も欲せず、ただただ清貧に徹し、世に打ち捨てられた
弱きものたちとともに生きていく。

映画の最後では、当時絶頂を誇り、権力闘争と欲にまみれた教会社会の腐敗をただそうと
ローマに乗り込み、インノケンティウス3世に謁見。彼らの教団が認められるまでの
ストーリーになっている。

映画全体に吹き抜けるすがすがしい風や清涼感。「愛」という永遠普遍のテーマ。決して宗教
臭くないストーリー仕立て。イタリアの空と太陽。そして、何より全編にわたり挿入された
ドノバンの歌声。

生きることの意味、死ぬことの意味。人とともに、そして、神とともにいきること。

一体どこまで理解できたのかわからなくても、以来、私の心の奥底にフランチェスコが
住み着いてしまった。時に何度も見返しては、同じところで涙を流す。エル・グレコの描く
フランチェスコに魅了され、油絵で模写をしたりもした。

先日、新ローマ法王に就任されたフランチェスコ1世は、この聖人にちなんでの命名という
ニュースを聞いて胸が熱くなった。ローマの友人宅に滞在した1週間、毎朝早起きして
バチカンまで出かけた。彼の歩いた回廊をめぐりながら、フランチェスコに思いを馳せた。
唯一の心残りは、彼の生まれ故郷アッシジまで足を延ばさなかったこと。先日書いた
マチュピチュやフランスのルルドと並んで、私が訪れたい街の一つだ。

心がかさかさして、何もかもが面倒に感じられるそんな時は、今でもふとブラザーサン
シスタームーンが見たくなる。

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