猫と海辺に暮らす翻訳コーディネーターの阿鼻叫喚な日々を綴る日記。

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イマヌエル・カント
2階に本をとりにいくと、ふとピアノが目に入る。ここ最近すっかり忘れ去られて
いた私のピアノ。もう夜だというのにゆっくりと蓋をあけて弾き始めた。

久しぶりで指が動かない。もともと上手くはないのだけど、しばらく弾かない
うちにさらに下手になっていてショック。ただ、20分ほど弾いていると、自然に指が
メロディに乗り始める。20分…ピアノを弾き始めて20分が過ぎると、私は眠くなる。

これは私だけなのかどうか、本当に気持ちがよくなってそのまま眠ってしまいたく
なる。指はそのまま動いているのだけど、まぶたが次第に重くなって、最後は
そのままベッドに直行することになる。

昨夜の30時間もさることながら、私は不眠というものを体験したことがない。
布団に入れば、ものの5分で眠りについてしまう。

そんな私の眠りをさらに加速させるのが、ピアノを弾くことと、そして、ある本を読む
こと。その本とは、カントの「純粋理性批判」。これまで一度も2ページ目に到達したことの
ない稀有な本である。同じ系統でもソシュールやバルトの構造主義やシュタイナーあたり
はもう少しページが進むし、カールヒルティーの「眠られぬ夜のために」などは、逆に
入り込みすぎて愛読書になっているというのに。

何故かカントは2ページ以上進んだことがない。カントには頭がついていかないのね、
私の場合。

そんな私が、国際関係の専攻でカントの「永遠平和のために」というのを読むように
強制された。国際関係論の中でもリベラリズムに属するとされるカント。彼の著作を避け
ては通れない学問だった。日本語でさえ2ページ目に届かなかったのに、18世紀に
書かれたドイツ語の英訳を読まされる恐怖。しかも内容はパープー、頭はパッパラパー。
ワンセンテンスが10行もある、関係代名詞山盛りの文章。難しい哲学用語の
オンパレードで、1文の最後にたどり着く頃には前半で何を言っていたか忘れて
しまうのだよ。

1日1歩、3日で3歩、3歩進んで2歩下がるこの人は、一体何をやっているのだ。いずれに
しても私の英訳カントはこのペースだった。

また、世のインテリというのは下衆なもので、自らの知性や学問を権威づけするために、
大仰な言葉や難しげな表現を使って読むものを煙に巻く。スタンダードと呼ばれる古典は皆、
さらにお堅い翻訳者によるガチガチの文体で読むものを遠ざけてしまう。ま、読む人が
読めばわかるのだから、単に私の脳が未発達なだけなのだけれど。

理想とする国家と個人の関係、つまり、誤解を恐れずにいえばカントの国家像は結構
お花畑だったりするかも知れない。ルーピーと比べてはなんだけど、いくら理想を語って
も、日本のように周囲が「基地外国家」ばかりだとお花畑だけでは成り立たなく
なってしまうもの。本当に日本人は高尚な理性と感性をもった民族だと思う。

つい熱くなって政治のかけらに触れてしまった。このブログを始めるときに、政治や国家、
また人権については触れないと心に決めていたのに。

ピアノとカントは私のソムニフェールというお話でした。
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