猫と海辺に暮らす翻訳コーディネーターの阿鼻叫喚な日々を綴る日記。

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アンデスの彼方へ
静かな海に潜ると周りの一切の音が遮断されて、まるでこの地球上で自分がたった
一人であるかのような錯覚に陥る、今はそんな感覚。

街には遅咲きの梅と早咲きの桜が交差して、白もくれんが満開になり、そしてハナ
ミズキもそのつぼみを膨らます。沈丁花の香りも悩ましい春の夜に気持ちが戻らない
のはなぜだろう。木々の小枝を揺らしながら花に顔をよせる鶯の愛らしさ、春風に
花びらを散らす白梅の潔さ。目にみえるすべてが今、春の息吹に包まれていると
いうのに。

毎日同じ時間に同じ道を歩いての出勤。この景色は昨日と何一つ変わっていないのに、
自分の気持ちだけが浮き沈みを繰り返しては、街の空気を一変させる。

週末の2日はどこにも出かけることなく、部屋で過ごした。
京都嵐山の竹林を歩いた時に感じた静寂、すべての音がまるであの竹の中に
吸い込まれていくような異次元の感覚。自分の周りに真綿が敷き詰められ、やがて
その中に包み込まれて、何も見えない、何も聞こえない真っ白な静寂。

金曜の夜、アメリカ人の友人とイタリアンに行く。
私の緊張を察して誘い出してくれたその食事で、私は自分のことばかりを
話した。自己憐憫のみすぼらしい感覚を引きずりながら、目の前で心配してくれる
友人に余裕のない会話を続ける。

我ながら何が理由でいっぱいいっぱいなのだろう。

「ペルーに行ってみれば」

私の話をしばらく聞いていた彼が口を開く。なぜこの地名が彼の口から出てきたもの
かわからない。これまでかの地について彼と話したことはなく、きっと何かの偶然
だったとしか思えない。

9才の私は、テレビで初めてペルーのフォルクローレ音楽を聞いた。
「コンドルは飛んでいく」「花祭り」など、ケーナの哀愁を帯びた音楽とともに
画面に映し出されたインカ帝国のマチュピチュ遺跡。いつかそこにいたような懐かしい
感覚とともに私の魂は強烈にかの地へといざなわれた。画面にはナスカの地上絵の
上を這うように飛ぶセスナからの映像が続き、やがてボリビアのウユニ塩湖へと続いて
いった。

それ以来、透明なクリアケースにマチュピチュの写真を入れ、図書館でインカ帝国の
本を読みふけったあの頃。長じた後も、シャーリーマクレーンの「アウト・オン・ア・
リム」や、「聖なる予言」でインカやペルーが登場するたびに、心の深いところで
人知れず何かを確信してきたように思う。街を歩いていてもインディオの末裔たちが
奏でるアンデス民謡が聞こえてくると、どんなに急いでいても足をとめて音楽に
耳を傾けざるを得なくなってしまった。

最近はそんな感覚さえ忘れていた。お酒を飲まない私に気兼ねすることもなく
酔った彼は、追加のビールを注文する。こういう時は本当にアルコールを
たしなむ人が羨ましくて仕方がない。上機嫌で彼の奥さんも「自分の魂はペルーにある」
などと意味不明のことを日々口走っていると笑う。「ふぅん」と聞き流しながら、少し
気持ちが軽くなるのを感じていた。

そんな気持ちも長くは続かず、この週末に突入。

無言で部屋を掃除して、嫌がる猫を無理やり抱きしめて噛みつかれ、笑点を見て
笑えない気持ちに拍車がかかる。

「ペルーになんか行けない」

そう思ってしまう自分。ものごとがうまくいかない時はいつも気持ちがついて
来ない。これはいつも通り仕方のないこととやり過ごしてみても、今回は浮き上がり
までの時間が長い。毎日1つずつ、ほんの1歩ずつ、少しでも前に、ちょっとでも上に
と思う気持ちが空回りをしてなおさら焦燥にさいなまれる。

そして明日は月曜日、大抵のサラリーマン、OL同様に普通の一週間の始まりを
迎えるのだ。Good bye blue Monday!

もう少しだけこのまま、もう少しこのまま頑張らない。

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