猫と海辺に暮らす翻訳コーディネーターの阿鼻叫喚な日々を綴る日記。

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さようなら、ミーちゃん
2015年5月11日午前3時30分、ミーちゃんが天国に旅立ちました。


赤ちゃんのミーちゃんが初めてうちに来たのは15年前の6月28日。
手の平サイズの mix で捨て猫だった。道端で泣いていた子猫があまりに可愛くて拾って
みたフランス人。でも、旅行も帰国もできないと気づくや、早々に手放したいと引き取り手を
探すことになる。捨て猫に逆戻りするところをギリギリで引き取ったのが、彼女との初めての
出会いだった。バスケットに入れられて家に来てから3日間、ベンジャミンの植木鉢の陰に
隠れて出て来なかったなぁ (^∇^*)

そして3日後、植木鉢の陰から出てくるや私の手をなめて 「ニャ」 と一言。今思えばこれが
「今日からウチの子になります!」 という彼女なりの決意表明。その日を境に、フランス名
“petite lune (小さな月)” から、日本名 “ミーちゃん” になった。

雑種でも鼻筋の通った美人で、とても頭のいい猫だった。自分で物陰に隠れては、
「ニャッニャッ」 と短いビープ音で私を呼び寄せる。探しに行くと物陰からサプライズで
思いっ切り私の足に飛びかかるという彼女ルールで、私の足はいつも傷だらけだった。
ちっちゃくてやせっぽっちだけど気の強さは人一倍。鬼ごっこで捕まると三倍返しで、
私の傷もさらに増えていった。

千葉に家を買った目的の一つもミーちゃん。家に引っ越したその日から、壁紙や柱の
破壊活動が始まって、我が家は着々と崩壊に向かった。それから15年、一人ずつ引き取り猫
の仲間が増える度、ミーちゃんには特に気を使ってきた。本来、自分一人が女王様で飼い主
の愛を独り占めしていたのに、なぜか勝手に後続の猫が増えていく日々。きっとミーちゃん
は面白くなかったに違いない。ミーちゃんに相談するときは、いつも彼女のお気に入りの
キッチンで話しかける。抱っこしてキッチン台に連れて行き 「今度妹がくるけど、いじめ
ないで仲良くしてね」 と、その都度私の我がままを聞いてもらった。


      shugo_convert.jpg
                   写真左からミーちゃん、ピッチ、ハルキ


オモチャもまたたびも、爪とぎの順番やおやつも必ずミーちゃんが最初。ひざの上にくる
優先順位や、布団に入る優先権もいつもミーちゃんが一番だった。そして他の猫がどんなに
爆睡していても、玄関ドアが開くとお迎えにあがり、私の右肩に 「おかえりジャンプ」 を
して帰宅を迎えてくれたのがミーちゃん。モノマネで私のテンションが上がり過ぎると、
足にしがみついたり、肩に抱き付いて 「怖いからやめてちょーだい」 と必死に止めてくれ
たのもミーちゃんだった。

乳腺種が見つかってからも、小さな体で三回の手術を乗り切ってくれる。それは私がキッチン
でお願いしたから。手術がどんなに辛くても一生懸命に頑張ってしまう。特に二回目の手術
では体重が半分になって危なかった。胸からお腹の広範囲に広がった腫瘍の全摘出に耐えて、
奇跡の生還を果たした。

そして今年、乳腺種の再発。避妊手術をしたメスには発症しないと言われる乳腺種も四回目
の再発だった。でも今回は、高齢が理由で四回目の手術を断られてしまう。ペットを飼って
いらっしゃる方はご存じの通り、ワンコやニャンコの手術は全身麻酔が基本。高齢の場合、
この麻酔で命を落とすケースが多い。そしてミーちゃんのガンは、すでにリンパを伝って
全身に転移していた。先生もリスクを負いたくなかったのね。これが肺に回ると呼吸困難で
アウトですとの最終診断だった。

その診断から、ここ一、二ヵ月の病状の悪化は異常な速さだった。体が小さい分、一度進行
が始まれば体調は一気に悪化する。ついこの前まで冷蔵庫の上までジャンプしたり、小型犬
並みのオス猫ハルキに猫パンチしていたミーちゃん。その痩せた体の厚みが、見る見るうちに
半分の薄さになっていく。昨日食べていたカリカリが流動食になり、そして流動食さえ受け
付けなくなった先週、私はその息遣いの荒さに肺転移を確信した。

来るべきときが来たという瞬間。

前日もいつも通りリビングとの境にある引き戸を開け放ち、和室で眠るミーちゃんのお腹が
動いているかどうかを見ていた私。すると、ヨロヨロと立ち上がったミーちゃんは、リビング
の私の足元まで歩いてきて、そこで倒れた。

もはや歩ける状態ではなかったのだけど、潔癖症のプライドにかけてトイレだけは自力で
済ませていたミーちゃんが、今回はトイレ目的ではなかった。私の顔をのぞきこむと、
「もうだめだから、ずっとそばにいてちょうだい」 と強烈に主張しているのが伝わってきた
ので、抱っこして一緒にベッドに横になる。骨と皮だけになった体をさすりながら、時に襲い
くる激しい呼吸困難にあたふたとし、目で必死に 「苦しいから助けて」 と訴えるミーちゃん
に右往左往。体をさすってあげる以外、何もできない私は、もう顔の形が変わるくらい泣き
続けた。本当はミーちゃんの方がずっと辛いのに。

そして11日朝の3時半。突然急に苦しみだして体をよじると、私に向かって 「ミュー」
と五回鳴いた。これは赤ちゃんの時から、私に甘える時だけに出す、彼女のとっておきの
きれいな声。「もうだめです、さようなら」 と言ったのか、「楽しかった、ありがとう」 と
言ったのか。それとも 「キッチンの約束が守れなくてごめんなさい」 と言ったのか。15年
前、ウチの子になりますと言ったあの時のままの可愛い顔で私を見つめ返していた。
とっさに死を直感した私は 「ごめんね、もう頑張らなくていいよ、ミーちゃん」 と、私の
身勝手な延命のお願いをやめた。

次の瞬間、グググッと何かがつまってミーちゃんの体がピタッと動かなくなる。私はその時、
彼女の命の灯が消える瞬間が手に取るように分かった。ミーちゃんの瞳から生命の光が消え
去り、そして何かが終わったというあの絶望にも似た喪失感。



11日の午後、ペット霊園の担当者が訪ねてきた。霊柩車に乗せられたミーちゃんの
箱の中には 「小さな鈴」 のついた真っ赤な首輪と、腫瘍が裂けても染み出てこないように
着せていたボーダー柄のワンピースを入れてあげた。きれい好きなキジトラのミーちゃん
には、赤い首輪とワンピースがよく似合ってたなぁ…

引き取りの方たちの前では泣かない決心をしていた私は、不覚にも担当の方の 「本当に
小さいですね」 の一言で感情が爆発してしまった。

もともとチビで痩せのこの子を更にここまで我慢させて小さくしたのは、この私。息が
できなくて苦しいのに、私の 「もうちょっと頑張って」 にこたえようと、一生懸命
生きようとしていたミーちゃん。キッチンでお願いなんかするんじゃなかった。

車が見えなくなるまで見送った後、一人部屋に戻る。他の二人の猫の姿は見えない。
部屋を抜け、ミーちゃんが好きだったキャットタワーの最上階に目をやる。あの子の
お茶椀やシリンジ、そして、私をいつも待っていたキッチンが目に入るや、一緒に
歩いてきた15年の月日が走馬灯のように押し寄せて、部屋の中を駆け巡った。

生活のすべてが思い出につながってつらい。

天国ではもう息が苦しくないかしら、体中にできたボコボコの腫瘍は元通りになったの
かしらとあふれ出る涙が止まらない。きっとミーちゃんのことだから、元気な頃の体に
もどって、広い野原を跳ね回っているに違いないと夢想する。でも、私が知っている
ミーちゃんというあの顔と体では、もはやこの地上で会う事ができないという現実に
全身が震えた。

昨日のこの時間は、まだここで生きていた小さな命が終わった瞬間だった。



          mie_convert_convert_3.jpg
                     ミーちゃん....



レースのカーテンを透かして部屋に流れ込む五月の風にのって、
どこからともなく聞こえる鈴の音のそら耳。

「ありがとう、さようなら」 って言えるまで、
やっぱり私にはもう少し時間が必要だったよ、
ミーちゃん。

もう一度会いたい...



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