猫と海辺に暮らす翻訳コーディネーターの阿鼻叫喚な日々を綴る日記。

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私はいつも正しい
世界が不穏な空気に包まれている。

昨年末、パキスタンのペシャワールで100名を超える子供がタリバンに殺害された。
それに続いてパリでは、アルカイダによるシャルリー・エブド社社員らの銃撃。さらにナイジェリア
では、ボコハラムが幼女の体に爆弾を括り付け、自爆テロにしたてて犠牲者を出した。

そんな私は、口をへの字に曲げたドイツのメリケル首相とフランスのオランド大統領がいかにも
被害者面で腕を組みながら歩く姿を見てドン引き。全世界の悲しみを背負った悲劇のヒロイン。

 「えっ?最初に風刺画で挑発したのは一体?」

勿論、私は暴力に反対だ。いかなる理由があるにせよ、人を殺していいはずがない。そうした
意味では、フランスの犠牲者やそのご家族に心から哀悼の意を表したい。特に子供を標的に
するなど、言語道断である。私はご存じの通りフランスが大好きだし、たくさんのフランス人の
友人にもお悔やみのメールを送った。でも、今回の主題がいつの間にか 「言論の自由」 に
すり替えられているのに心から解せないものを感じている。

「私たちこそがいつも正しい」 … 西洋諸国のキリスト教徒が、民主主義と言論の自由を
旗印に結束し、身勝手なイスラムの価値観を押し付けるテロリストに断固として立ち向かう
という分かりやすい対立軸。いつもながら悪いのはイスラム教徒で 「私たち欧米人は
常に犠牲者。何も悪くない」 と言う。

本当にそうですか?

他者を否定することで、自らの正当性を主張する立ち位置。自分に都合の悪い情報は
棚上げし、他人の情報はのぞき見、煽り立てるだけ煽って最後は表現の自由の無限ループ。
今、自分たちがやっていることは、その実テロリストと何ら変わりがないことに気づかない人々。


メディアの暴走
以前このブログでも書いたように、何かと言えば 「言論の自由」 「表現の自由」 の大合唱。
ペンの力は結構だけど、そもそも言論の自由を唯一行使できるマスメディアは、一体誰が
検閲をしているのだ。特定秘密保護法案の時もそうだっだけど、都合のいいように情報を操作
して 「報道しない自由」 を行使したり、スポンサーの都合に合わせて 「報道の切り口」 で
ごまかしてみたり。 「ペンの力」 でいくらでも勝手に言い訳を作るものだから、朝日新聞の
ようなエセ新聞がジャーナリズムを語って、 “三十年以上” も捏造を隠ぺいし続ける
ことになる。

報道は事実をありのままに伝えればそれでいいのよ。誰も専門外のアナウンサーや
コメンテーター風情に政治や経済への 「独自の視点」 や 「私なりの切り口」 を語って
欲しくない。一体、いつからこうした勘違いが始まったのか。

今回のフランスのデモも、テロリズムに対抗するヨーロッパが表現の自由の美名のもと、
悪のイスラム教徒と戦うヒロイズムに酔っているけど、そもそも風刺画で挑発を続けたのは誰か?
あの風刺画が事件の起爆剤であったこと、また、あの掲載がどれだけ排他的で品のない行為
であったのかを糾弾する勢力が西側世界から一切出てこないところがおかしい。テロリスト
だけがイスラム教徒ではないのだよ。

権威を引きずり降ろすことこそが、マスコミの標榜する 「言論の自由」 と勘違いしている点は、
日本もフランスも変わりがない。ただ、マスコミはそれ自体が力を持っているからこそ、自浄作用
を持たなければならないのだ。何でもかんでも書きっ放し、言いっ放しでいいと思ったら大間違い。
自由の概念をはき違えるから、今回のような大事になる。

風刺画でイスラムの権威者が同性愛のキスをする絵など、この絵を出すことで一体世の中の
何をただそうというのか。どういう建設的な結論を導き出すためにこの絵を描いたのか。この
フランスの新聞自体が、テロとは無関係の善良なイスラム教徒に対し悪意に満ちた侮辱を
投げかけ続けてきたのだと、なぜ誰も報じないのだろう。

冒頭に書いたように、だからといって人間の生命を奪う蛮行は決して許されるべきものでは
ない。しかし、世界は広いのだ。多くの人々が違う地域で異なる文化的背景を持ち、様々な宗教
を奉じて生きている。人は違って当たり前。だからこそお互いが違うことを尊重しながら生きて
いかなければならない。

フランスという国は権威を否定することで国を発展させた。栄華を誇ったブルボン王政や
貴族の首をもぎ取って勝ち得た民主主義と言論の自由。18世紀フランスの民衆が作り上げた
この体制のおかげで、私もこうして自由に意見をブログに書くことができる。

でもね、Charli 社の風刺画は批判ですか?中傷ですか?

今のフランスが為政者を持たない共和国であっても、世界には、いまだ王政を残す
立憲君主制の国もあれば、多くのイスラム国家のように宗教的なカリスマに統率された
国もある。どちらがいい、悪いの問題ではなく、その違いを尊重するところから
すべての秩序と儀礼が始まるのだ。なんでいつも自分だけが正しい、だから周りも
その価値観を受け入れなければならないと考えるのだろう。

文化の違いを受け入れず、メディアを使って誹謗中傷開始、その後、相手からの反撃を
受けて最後は逆ギレというのが、フランスを始めとする西洋諸国のやり方。ここからその
実情を具体的に考えてみたい。

まず風刺画の言いがかりの被害者としては、日本も例外ではない。以前、フランスの
カナール・アンシェネ紙が福島原発の汚染を揶揄して掲載した風刺画がこちら。

   JeSuisCharli.jpg
                        品性下劣

深手を負った人の傷口に塩をすり込むような追い打ち。彼らの考えは、日本人の良心を
遥かに超越したところにある。放射能の影響で奇形と化した力士がよろよろと相撲を取ろうと
している。これにはさすがに日本政府が抗議をするものの、この新聞社は謝罪などしなかった。
彼らの言い分と言えば、「こんなジョークさえ受け入れられないとは、日本人には度量がない。
むしろ汚染水さえ管理できない政府に対して怒りを向けるべきだ。我々は謝罪するつもりは
ない。」 と胸を張る。

全く取り付く島もない。正式に抗議を申し入れた人間に対し、その回答を侮辱の上塗りで
返す人間性の低さ。この程度の返答で引き下がる日本政府の残念な弱腰はいつもながらの
事だけど。

とどのつまり、今日の表題 「私はいつも正しい」 のだ。

一般的に西洋人は謝らない。論破されると 「それは考え方の違いだね」 と上から目線
でスルリと逃げる。そもそも議論というのは 「考え方の違い」 から始まっているのだが。
いつも自分が正しいからこそ、たまに攻撃されるとあっという間に 「理不尽な攻撃の
被害者」 を気取ることになる。これは別に私が彼らに対して悪意を持っている訳ではなく、
おしなべて一般的に言える欧米人の客観的実像である。白人様は謝らない。

こうした傲慢さは、カナール・アンシェネ紙のコメントがすべてを物語っている。

ジョークというのは受け取った側が冗談ととらえて初めて相互成立するもの。
受け取り側が不快に思えば、その時点で、もはやジョークではなく誹謗になる。しかも、
権威に対しては何を言ってもいいし、それがジョークだと思い込んでいるフランス人
のシンプル過ぎる価値観が、万国共通に受け入れられると勘違いしている傲慢さが
恥ずかしいのよ。自由には常に責任が伴うと言う事、お忘れですか。

例えばフランスのお隣りイギリスにはまだ女王様がいる。英国人はジョークで自国の
チャールズ皇太子を皮肉ったりするけど、王様をもたないフランス人が彼の悪口を言う
ことは許さない。たとえ離婚をしても、後妻がガチャピンで不細工でも、国民は未来の
英国王になる彼に心から敬意を払っている。女王がいるからこそ、日本を始めとする
皇室や王室をもつ国の人々に対しても敬意を払い、配慮することができるのだ。
ゴリ押しでエリザベス女王の謁見を勝ち取ったつもりの李克強は、バッキンガム宮殿
平民の間に通されてご満悦。日本の皇室とは所詮格式も扱われ方も天地ほどに違う。

この最低限のマナーの線引きこそが、国際社会でお互いの違いを尊重するスタート
ラインになる。

こういう配慮がないとどうなるか。イギリスのダイアナ妃が命を落としたのは、一体、
どこの国で、どこの国のパパラッチに追い詰められての事故であったか。限度を知らない、
「知る権利」 という下世話な言葉の暴力、推して知るべしの顛末だ。

更にいえばこのフランス紙、日本の汚染水にご立腹のようだけど、年平均100 件を超える
自国フランスの放射能事故について一切触れないのは、お得意の 「報道しない自由」 ですか。
日本の放射能漏れはマグニチュード 9.0 という未曾有の自然災害によって偶発的に
もたらされたもの。のこのこと自国から遠く離れた太平洋までやって来て、誰にも頼まれて
いない核実験でわざと放射能をばら撒くフランスとは前提が違うのだ。

フランス紙が日本を非難できる余地など1ミリもないのだけど、あえてフランス伝統芸の
風刺画を使ってやり玉にあげるのが 「おフランス風」。自分はいつも正しいから、都合の悪い
ことはいつでもなかったことにする。つまり、どこまで行っても 「私は悪くない」 のよ。

もし日本人が、日本のアニメ画力のすべてを駆使して、今回のフランス人殺戮を風刺画に
して差し上げたら (日本人はそんな下世話な行為は絶対にしないし、できないと思うけど) 、
彼らは何て答えるかしらと思う。いつものように涼しい顔で、 「素敵なジョークだね」 と
上から目線で返すことができるだろうか。

ギロチンで斬首刑を行い、それまでの貴族文化を全否定。一般市民が平等な権利を得て
から二百余年、なんら新しいものを生み出す力のない国になり下がったフランスは、今、移民と
テロ攻撃に見舞われている。かつて唾を吐きかけ馬鹿にしたブルジョアの遺産を観光資源に
してでも、何とか食いつないでいかなければならない運命の皮肉に一体何を思うのだろう。

こういう 「私はいつも正しい」 アピールを、お金とメディアを使って仕掛け、いざ反撃されたら
逆ギレ全開のパターンは何もフランスの風刺画だけじゃない。

例えば 「ザ・インタビュー」 では、コメディ映画で北の為政者をこき下ろした。
確かに私もあの将軍様はアレだと思うけど、なんであそこまで馬鹿にするのか分からない。
放っておけばいいことでしょ?まさかあのコメディ映画で独裁体制の転覆を狙う訳でも
なし、 “彼らだけ” が面白いと感じるジョークのためにわざわざ映画まで作って他国民を
はずかしめる。デブなコメディアンが全裸になって国のトップを演じたら、どこの国
だって面白くないのではないの?

しかも自分達があれだけ意味のないことで煽っておいて、いざハッキングの逆襲を
受ければ、証拠が確定する前に見切り発車の報復措置。しかも一企業のハッキングに
国を上げての経済制裁とか、ここでも黄金の逆ギレルールが炸裂している。今回の風刺画
と全く同じ構図。一体、誰が最初に始めたのですか?相手はこのコメディがジョークだなんて
思っていませんよ。

アンジェリーナ・ジョリーの 「アンブロークン」 もそう。悲惨な戦争体験を乗り越えた
一人の人間の成長ドラマを綴る原作とは裏腹に、繰り返し行われる拷問シーンと
日本兵の残虐性にのみ焦点を当てたスプラッター映画。何らかの政治的意図があって
作られたと言われても何の申し開きもできない。戦後70年の節目を迎える、まさに
このタイミングでの公開がとても分かりやすい作品の一つだ。

当の日本人が聞いたこともない人肉食へのこだわりは、この映画の製作意図が
日本人に対する人種差別以外の何物でもないことを物語っている。そんなに拷問に
ついて語りたいのなら、先ごろリークされた 「現代アメリカ」 CIAの拷問について、
一人の 「アメリカ人」 アンジェリーナ・ジョリーとして糾弾すべき。原爆と空爆で百万の
一般市民を虐殺しておいて、日本兵の拷問が聞いて呆れる。少なくとも日本人は
戦後70年、他国の人間を殺していないからね。こんなこと言いだしたらお互い本当に
キリがない。

また人権について語りたいのであれば、70年前の日本兵の反日プロパガンダ映画を
作るよりも、あなたの大好きな中国が 「今」 何をやっているのか。子供を誘拐して内臓
ビジネスやセ☆クス産業に売り飛ばす国をスルーしてでも、反日プロパガンダを
続ける偽善者を世界はどう見るか。

このハリウッド女優は、日本人からのクレームに 「私は何とも思っていない」 と
のたまった。全部棚にあげる、逆ギレする、そして最後は 「私は悪くない」。

いくら億単位の寄付を費やしてイメージ操作をしようが、所詮、着飾った善意は
ほころびが出るというもの。これ見よがしに孤児を養子にして、ハリウッドの
マザーテレサになりたかった刺青入りのヤク中は今、うわべを飾っていた化けの
皮が剥がれまくって大変。人種差別はアメリカの黒人だけに適用されると思ったら
大間違いなのだよ。

頭のおかしい人間に金と権力をもたせるとどうなるかという悪い見本の典型。成り
上がり中国腐敗官僚とまったく同じで、人間修養のできていない成金の俗物は、
どこまでいっても本物の白鳥にはなれないのだ。

風刺画から映画まで使うメディアは様々だけど、マスコミも電波女優も頭の中身は
一緒というお話でした。


問題の本質
イスラムのテロリストがフランスの新聞社やユダヤ人を襲ったと騒ぐけど、結局関わった
人間はすべてフランス人だったという事実。つまり今のフランスには、人種の違う人々が、
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、さらにその他の宗教を信じながら共に生きている。

そういった意味で、今回の事件が人種と文化のモザイク、フランスで起こったことは
とても象徴的だった。

フランスの移民は400万人で総人口の約10%を占める。その移民のうち、マグレブ連合
のモロッコ、アルジェリア、チュニジアといった北アフリカからの移民が3割。こうした
国内のイスラム人口は欧州最大で、さらにユダヤ人人口も欧州最大。もはやフランスは
白人だけの国ではないのが実情だ。

こうした移民の流入で治安に問題がある上、労働者の権利にうるさいお国柄から、
なかなか正社員が退職をせず自らの既得権益を守り続ける。結果的に、若者が職に
つくことができずに、社会への不満は募るばかり。またEUのメンバーとして債務国の
面倒を見なければならない今、フランス人の間にはナショナリズムの潮流が芽生え
始めている。当然の成り行きである。

自由を標榜し続けたフランスが、ついに 「ブルカ禁止法」 を発布し、イスラム教徒の
女性が公共の場所で顔を隠すことを禁じる。パリの地下鉄では、移民の子供たちが観光客
を相手に集団でスリを働き、ルペン党首率いるフランスの極右政党、 国民戦線 (FN)
が勢いを増している。

更に今回は、イスラム教徒によるユダヤ人の弾圧という局面も露呈。これはフランスのみ
ならず、欧州全土で進行している。各国でイスラム教徒によるユダヤ人の排斥が問題に
なる中、差別の連鎖が止まらない。蔑まれた人間は、蔑む人になる。排斥されたイスラム
の鬱憤は、そのままユダヤ人に振り替えられるのだ。中東諸国とイスラエルの間で繰り
広げられる血みどろの諍いが、ヨーロッパに場所を替えて行われているに過ぎない。

フランスに住むユダヤ人は今、白人キリスト教徒のフランス人に加え、北アフリカからの
移民を中心にしたイスラム教徒からの標的になってもフランス政府から公式な保護の方策は
出ていない。今回の襲撃で、いよいよ身の危険を感じたユダヤ人達は今、先を争って
イスラエルに出国している。

勝手に移民を受け入れて、いざ邪魔になったら差別と文化弾圧。最後は嫌がらせを
しながら追い出しにかかれば、反撃されても自業自得と言われて仕方のないのが事実だ。
宗教弾圧も筋金入り。私の友人のオーストラリア人は見た目も名前もフランス系なの
だけど、ご先祖は16世紀のユグノー戦争でフランスを追われたプロテスタントで、
北ヨーロッパを流れ流れて最後にオーストラリアに辿り着いたらしい。どんだけw
同じキリスト教徒の間でもこの有様である。

さまざまな人種と宗教、そしてそれに伴う文化や価値観の違いが引き起こす摩擦の
数々。今回の事件は起こるべくして起こった悲劇だ。つまり、巷間言われているイスラム
過激派だけが問題なのではなく、またフランス人が悪いわけでもない。これまでの積み
重ねで堆積した差別の鬱積や異文化の軋轢が、今ここではじけ飛んだだけの話だと
いうこと。

これだけ複雑な背景をもちながら、370万人を集めたデモのスローガンが、あの
風刺画の Je suis Charli では全く訳が分からない。この新聞社、事件後も部数を
増やして新たな風刺画を発行している。ここでやめたら 「負け」 になるという低俗な
センス。たとえテロリスト相手に煽り立て、更にフランス市民の犠牲者を増やそうとも、
千載一遇の部数増刷で今が稼ぎ時。勿論、大義名分はお得意の 「表現の自由」 だ 。

一方、テロリストにとっては、相手国の象徴を破壊することが一番のダメージ。アメリカの
9・11 同時多発テロでは、ニューヨーク世界貿易センターが真っ二つにされて、アメリカ
国民の心が一瞬にして打ち砕かれた。日本であれば、伊勢神宮や清水寺が爆破されたか
のような感覚だろうか。もはや後戻りのできない戦いに自ら乗り出した今、世界が愛する
花の都パリが、バーミヤン石窟の二の舞にならないことを心から願う。

どんなに批判をしようともフランスを愛する私にとって、あの新聞社が引いた終わりの
ない戦いへの引き金が許せない。

独善の自由と引き換えに、今後この決断がフランスにどう影響を与えるか、Charli 社
はすべての責任を負わなければならない。第二次世界大戦末期、ナチスへの屈辱に
まみれながらもフランス人のプライドをかけ、無血開城で守り抜いたパリ。

フランス革命を戦い抜いた自由の申し子の末裔たちは、ナチスドイツにさえ指一本たり
とも触らせなかった。その凱旋門やシャンゼリゼ通り、エッフェル塔からヴェルサイユ
宮殿まで、世界の宝として名だたる威光を放つフランスの誇りが、いつ爆弾で破壊
されてもおかしくない緊張状態を作り上げたCharli 社の責任は重い。

370万人のデモを見ても、ドイツメリケルの強烈な顔面しか印象に残らなかった
私だけど、フランスの議会中継では不用意にも泣いてしまった。誰が始めるともなく、
静かに歌われたフランスの国歌、ラ・マルセイエーズ。私のインテリ系の友人たちは、
口を揃えてこの歌が嫌いだと言っていた。~♪武器を取れ我が市民らよ♪~18世紀
オーストリアとの開戦時、マルセイユの義勇兵が歌ったのが始まりとされるこの歌は、
国歌にしては歌詞が血なまぐさい。そのためか、サルコジ政権で指導が義務化
されるまで、全曲通しで歌えないフランス人もいたとのこと。

つむじ曲がりで左巻きの理想主義、徹底した個人主義のフランス人が、これまでに
この歌を口ずさむのは、せいぜいオリンピックかワールドカップだったはず。そんな
フランス人が今、皆で静かにラ・マルセイエーズを歌っている....実は今回の件が、
多くのフランス人の心にもの凄く深い傷を残しているのだと知る瞬間だった。


混沌の時代へ
今年で戦後70年。これまで何とか保たれてきた戦後レジームが、ガラガラと音を
たてて崩れていく。戦勝国の欧米各国が唱える価値観こそが絶対的に正しいとする
戦後の流れが、もはやその力を失おうとしているのだ。耳に心地よい人権の理想を
掲げて多くの移民を受け入れてきた欧州の国々が今、断末魔の悲鳴をあげている。

もともと同じ根をもつユダヤ、キリスト、イスラムの三宗教がいずれも譲らず、
自らの価値観のみを押し付け続ける。これまで数千年に及んで繰り返された諍いが、
ここで簡単に解決される訳もない。もはやイデオロギーも宗教もその力を失った
現在の軋轢を力で抑え込もうとすれば、 「目には目を」 の応酬になる。皆が皆、
自分の尺度で 「私が正しい」 とエゴのぶつかり合いを続ければ、最後は終わりの
ない暴力と混沌の無秩序になるのは目に見えているのだ。

白ヤギさんと黒ヤギさんの手紙。どちらかが最初に相手の手紙を食べるのを止めない
限り、お手紙の交換は永遠に続いていくのよ。

自らを正当化するだけのエゴの拡大は、いつか必ず限界を迎える。文化の多様性に
対応しきれず、これまでの 「私が正しい」 も通じなくなった今、もし世界平和を
願うというのであれば、自らと違う考えを尊重する度量を持って平和共存の道を選ぶか、
物理的に移民政策を避けるしかないのだ (移民が数世代に及ぶような欧州の国々では、
この選択もすでに手遅れ)。

日本は欧州の実験と失敗を他山の石とすべきだ。移民は常に諸刃の剣。日本人は
多くの多様性を受容しようと努めてはみる。しかし、肝心の入って来る人間側に日本文化を
受容する歩み寄りがなければ、相互理解の基盤が崩壊してしまう。

文化的に近いと言われる近隣諸国の人々が日本に住み着き数十年。その結果、今
どういうことになっているかを見れば、いかに難しい選択であるかが容易に察せられる。
無理なものは無理、頭でっかちに理想世界の人権を振りかざして移民政策に舵をとれば、
逆に足元をすくわれかねない。

歴史の悲劇でこれまで 「私はいつも正しい」 と言えなかった日本は、その反動で自虐史観と
いう副作用に苛まれてきた。ただ、これがむしろ戦禍から自らを謙虚に見つめ直す、貴重な
インターバルになっていたのかも知れない。

地政学的に島国の日本に移民政策はそぐわない。
移民受け入れに消極的な姿勢が狭量だと非難するのであれば言わせておけばいい。
日本はいかなる人種も宗教も認めるが、そのどれをも特定に支持していくことはない。
どんな偏見も差別ももうたくさん。それが日本という国の在り方ではないだろうか。

たとえ自分が理解できなくても、そんな違いを尊重しなければならない。
それは、我々一人一人が、我々一人一人であるために。

大好きなフランスで、そして世界で、これ以上の犠牲者がでませんように。
いつの日かきっとみんなで笑いあえる、そんな世界になりますように。


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