猫と海辺に暮らす翻訳コーディネーターの阿鼻叫喚な日々を綴る日記。

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生まれてくれてありがとう
赤ちゃんポストのニュースが世間をに賑わせている。某テレビ局のドラマが
色々と実在の名称を使い、結果、当事者たちを傷つけてしまうのではないかと
いう懸念から、今やスポンサーをも巻き込んで侃々諤々、世間を二分しての
大騒ぎになっている。

この件に関して、普段は大好きなコメンテーターの一人がコメントしていた。
「ドラマの放送を中止するなんて表現の自由を著しく制限する嫌な話。そんな
ことを言うなら、ディケンズのオリバースウィフトを読んだ人が、皆、小説に
影響されて、可哀想な主人公を差別するとでも言うの!」 と鼻息も荒い。

ああ、また表現の自由だ、と思う。確かに我々もこの自由の恩恵に浴している。
だからこうして私も自由にブログを書いていられるのだ。どこかの自称GDP
世界2位の国のように政府に検閲され、自由を制限されたらたまらない。でも、
この 「表現の自由」 を、伝家の宝刀よろしく何にでも利用されても困るのよ。
その一方で、都合の悪いことは一斉に 「表現 (報道) しない自由」 を振り
かざして世論誘導したり、受け取り手を無視して事実を改ざんをしたりと、
本当に首尾一貫性がない。

ディケンズの時代、イギリスの識字率は10パーセントもなかった筈。
その時代に文字として小説をたしなむ層というのは、パブリックスクール →
オックスブリッジの貴族で、十分に教養を兼ね備えたインテリだった。であれば
こそ、小説をフィクションとして楽しめる。

一方、今の時代のテレビは、一部のインテリに 「文字で伝える」 のではなく、
不特定多数をターゲットに 「ビジュアルと音響効果」 で一斉に垂れ流している。
例え文字が読めなくても、視覚からの映像で強烈なインパクトを与えられる
強力なメディア。結果的に、溢れんばかりの情報を自らの価値基準で取捨選択
して不要なものを切り捨てる能力のない子供や、扇動されやすい層にも届いて
しまうのが実情なのだ。

だからこそドラマで悪役イメージの強い俳優さんが街でののしられたり、アイドル
がストーカーに遭って暴力を受けたりするのよ。仮想と現実の区別ついていないし。
まず基本的にディケンズの時代背景とは比較できないし、であればこそ発信者側の
規制責任も必要になる。

言葉狩りのように放送コードでギチギチに縛るのは行き過ぎだとしても、今回の
ように扱う対象が子供で、その子供が周囲からいじめに遭うかも知れない、深く心を
傷つけられるかも知れないという配慮は必要でしょう。

このドラマに絡めて、あるニュース番組が児童養護施設 (1998年以降は孤児院と
言わないらしい) のドキュメンタリーを組んでいた。何気なくつけたテレビの画面には、
赤ちゃんを抱いた職員の女性と、その腰に取りすがる小さな子供の映像。
子供達の数に対して職員さんの人数が追い付かず、どうしても手のかかる小さな
子供が優先になるという。

赤ちゃんを抱いた職員さんの後を泣きながら 「抱っこ、抱っこ」 と追いかける2才の
この子は、それでも決して職員さんをママとは呼ばなかった。ああ、とっても悲しいのね...
と思うと、それ以上見続けることができなくてテレビを消してしまう。

物心ついた時、この子は一体何を思うのだろう。無条件に自分を受け入れ、そして
愛してくれる母親という存在。自分の人生は、この親の拒絶からスタートしたと悟る
瞬間。たとえ世界中を敵に回しても、命にかえて自分を守ってくれる母親の愛情や
慈しみが、人生のスタート地点で欠けてしまった。

テレビの中で声が枯れるまで泣いていた子供に話しかける。


あなたが生まれる前に交わした約束。
大好きなパパとママを選んで、これからママのところに 「生まれていくね」 と
言ったその約束を、ママはきっと忘れてしまったのね。
でも、だからといって誰もあなたの魂を傷つけることなんかできない。
世の中に望まれずに生まれてくる子なんていない。みんなおんなじ、平等に祝福されて
この世界に生まれてくるの。例え今、ママがそばにいなくても、あなたがここに生まれて
くれて、そして生きているだけで、私は嬉しい、みんなも嬉しい。
私の声は届かないかも知れない。でも、みんなのために、そして未来であなたを待って
いる、いつか会う大切な誰かのために、あたたかな道をまっすぐにまっすぐに
歩いて行ってちょうだい。

生まれてくれてありがとう。


このドラマの是非も報道の自由も分からない。でも、今回の騒動で一つだけ気づかせて
くれたこと。それは決して忘れてはいけない想いと自分の無力さ、そして、命がとても
大切であるということ。

もう少しあたたかくなって桜の花が咲くころになったら、今年もタイガーマスクの
ランドセルが誰かのもとに届くはず。

生まれてくれてありがとう。


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アイドルという職業
撮りためておいた 「5時に夢中」 を見ようと思ってテレビをつけると、元モー娘。の
保田圭が鳥のフンをふいていた。

フクピカか何かのCMなのだけど、恋愛レボリューションのBGMに合わせ鳥のフンを
ゴシゴシしている。そんな姿を見てしみじみとした。デビュー当時は、やれゴビ砂漠ブス
(果てしないブス) だの1円玉ブス (誰も手を出さない) だのと言われ放題。たまに
テレビに出ても、とっておきの自虐ネタですべったり、アイドルなのにヨゴレ扱いばかり
だった圭ちゃん。

家族がアレで人間サイボーグと化したゴマキ、喫煙と男で身を持ち崩した加護亜依、
そして浮気現場の修羅場で日本全国の主婦を敵に回した矢口真里。元人気メンバーが
次々と自爆や共倒れで勝手に落ちていく中、とうとう圭ちゃんにスポットライトが当たる
日が来た。

イケメンの旦那とハワイで挙式、地味なバラエティー出演、そして、たとえ鳥のフン拭き
でもCMをゲット。今や、モー娘。唯一の勝ち組になった。こうして苦労してきた人が
日の目をみるのは、水戸黄門のように救われた思い。昨年、紅白出場50回の節目で
勇退を発表した北島三郎だって、もとは 『ゲルピンちん太ぽん太』 の “ぽん太” よ。

 「人間万事塞翁が馬」 そして 「禍福は糾える縄の如し」

人の人生なんてどこでどうなるか分からないっていうことなのかしら。

モー娘。に限らずアイドルに 「塞翁が馬」 はつきもの。つい最近もAKBの娘が元カレ
のリベンジポルノで福岡に飛ばされた後、選挙で1位になって戻ってきた。こういう
演出でハッピーエンドなら見ていても辛くないけど、昭和のアイドルはそうは
いかない。

強盗に入られた岡田奈々や拉致された風吹ジュンは事務所でさえ守ってくれ
なかった。それでもいまだに芸能界の一線で活躍している彼女たちは本人の運と
実力なのだと思う。

子供の頃に見ていたドリフの全員集合など、今思えれば恐ろしく残酷だった。

「8時だよ!全員集合」 に必ず出ていたアイドルのアシスタントたち。遠い記憶の
彼方に、大手ナベプロ所属のゴールデンハーフが思い浮かぶ。ドリフのコントに
出ていた彼女たちは当時の子供達に絶大な人気を得、子供番組のお姉さん級の
扱いを受けていた。その後、人気の凋落と共にグループを解散するや、メンバーの
中で一番地味だったルナが、日活ロマンポルノ 「修道女ルナの告白」 に出演。
その後さらに第2段 「ルナの告白、私に群がった男たち」 (業界の枕営業を
暴露?) に出て世間をあっと言わせた。

ドリフでは何事もなかったかのようにキャンディーズがアシスタントに入れ替わり
大人気に。その後、人気の絶頂期に事務所に内緒で引退を発表してしまった。

慌てたナベプロが次に用意したのがトライアングル。キャンディーズの妹分として
大々的にプッシュして、デビュー曲の 「トライアングル・ラブレター」 もチョイヒット。
なのにこちらも人気が落ちるや、メンバーの小森みちこが日活の 「あんねの子守唄」
に出演してしまった。

修道女だったりあんね (当時の代表的な生理用ナプキンの名称) だったり、一体
何なのよと思うのだけど、子供達の中には少なからずトラウマになった人もいるの
ではないかしら。別にアイドルからAVだけなら、畑中葉子の 「後ろから前から」 とか、
天地真理 「魔性の香り」 他、数えきれないほどの出演があるけど、子供のアイドルが
ロマンポルノは何だかなあ。

学生時代、デリカシーのない男子はこうした堕ちたアイドルや熟女をひたすらおかずに
していた。本当に信じられない。私も一度、小柳ルミ子のアヘアヘテープというのを聞か
されたことがあった。

それはサマーキャンプ。ゲームで爽やかに汗を流した私たちは、負け組の罰ゲームで
テープを聞けと命じられる。それはカセットの時代、みんなでその周りに集まった。エロ
担当の男子がもったいぶって取り出した一本のカセットテープには 「小柳ルミ子アヘアヘ」
と書いてある。冗談の通じなかった私は、きっと間寛平ちゃんの物まねか何かと思い、
罰ゲームの意味が分からなかった。

男女一同、期待に胸を膨らませ、いよいよプレイボタンが押される。

ガビガビとのびたテープの雑音の彼方、苦しそうにうめく女性の声が聞こえるや、
男子生徒が一斉に萌えた。

 「おおっ、スゲー」

やっと内容を察した私も一生懸命聞き取ろうとするけど、ルミ子な気もするし
そうでない気もする。そのうち、ラジカセを取り囲みあえぎ声にじっと耳を傾ける
集団に引きはじめた私は、そっとその場を離れた。聞き取ろうとするばかりに大音量
となったルミ子のあえぎ声が、キャンプ場の山々に切々とこだましていた。

昭和の時代は、アイドルがトイレに行かない時代だからこそ、その後のロマンポルノ
という受け皿が映えた。今は、誰がポルノに出ても驚かないもの。

正統派アイドルで、ブス呼ばわりのアウェーを乗り越えてきた圭ちゃんには、今後
一旗も二旗もあげてもらいたい。



ありがとう
新年あけましておめでとうございます!

2013年、年の瀬。私のブログをよく訪れていただいている方から 「ブログが1年ですね」
とコメントをいただいた。紅白歌合戦を見ながら 「そうだ、私もブログをやってみよう」 と
思ったのがそもそものきっかけ。

ブログを始めた当初は、一体世間の誰が見も知らぬ私の文章を読んでくれるのだろうと
半信半疑の状態でスタート。そして、その後半年の間はまったくと言っていいほどの無反応w
ランキングも上がらなければ、拍手もコメントもない閑古鳥の一方通行で、まさに阿鼻叫喚な
ブログだった。

そんな 「壁に語りかける生活」 が半年を過ぎた頃から突然訪問者が増え始め、たくさんの
コメントや拍手をいただけるようになった。なぜだか理由は分からないけど、初夏の頃から
訪問者が激増したのだ。

これら足跡を残していただいた方々のブログを訪問することで、世の中にはこんなにも
色々な年代、職業や趣味をもった人々が、私と同じ時間を共有して今を生きているのだ
ということに改めて気づく。

長く闘病生活を続けながら、日々前を向いて歩こうとする人、主婦として家族を見つめる瞳、
写真や絵画、音楽で自らのメッセージを発信し続ける魂、仕事に押しつぶされそうになり
ながらも一生懸命に歩むサラリーマンの想い、今が辛い受験生の希望、ひたすらペット
たちに愛情を注ぎ続けるいつくしみ、自閉症や引きこもりの人達の焦燥。人と自分の
境界がゆっくりと消えていく瞬間。

そしていつの頃からか 「自分のブログを読んで欲しい」 という想いから 「あなたをもっと
知りたい」 という興味に変わった。

このブログを始めなければ、こんなにも身近にみんなの心のつぶやきを感じることもなかった。
そうした意味では、深夜に向かうこのPC画面が世界につながるドラえもんのどこでもドア。
「今、とても嬉しいんだ」 「息をするのもつらい」 「明日、会社に行きたくない」 「恋人に
ワクワクして眠れない」。

今やこのブログは、そんな人々の日常につなげてくれる大切な窓になってくれている。

私が押しつぶされそうになっている夜更け、ふと立ち上げたPCの向こうで痛む人がいれば、
「頑張れ頑張れ!」 と励まし続ける自分がいる。 「きっと大丈夫!」 と投げかけたこの言葉は
一体誰のためなのだろう。人に生かされている瞬間...

この一年、飽きっぽい私を支えてくれた多くの読者、たくさんの気づきとあたたかい愛をくれた
ブロガーの皆様に心より感謝致します。そして最近とみに更新が滞りがちなこのブログですが、
また今年一年宜しくお願い致します。


心からありがとう!


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