猫と海辺に暮らす翻訳コーディネーターの阿鼻叫喚な日々を綴る日記。

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メッセージ
先日の「捨て猫チィちゃんの思い出」には、多くの方からコメントをいただき、
私自身驚きとともに、読んでいただいた方々に心より感謝している。

そんな中、お返事のできないカギマークのコメント(私は未だにいろいろなシステムを
理解していない)にご年齢が上の方から大変丁寧なコメントをいただいた。内容に共感する
という内容と共に、

「私も里親にとも考えることがありますが、年齢を考えますと猫ちゃんを残して
先に行ってしまうと思いますので飼う事が出来ません。」

と、綴られていた。私は今、猫を三匹飼っているけど、この人たちを残して自分が先に
逝ってしまうなどと考えた事は一度もなかった。ご年齢が上の方は、飼う側の責任という
ものをここまで考えていらっしゃるのだと深く反省した。

こんなにしっとりとしたコメントをいただき、是非お礼を残したいとおもったものの、
このカギマークが良く分からない。つまり一方通行ということ?この文を見て
いただけたら、私の感謝の気持ちが伝わるのに、と歯痒い。

それにしても私のブログ。

「捨て猫チィちゃんの思い出」の後にすぐお礼のブログを入れるべきなのに、後に
続いたのは「ちんすこう」。ま、この落差は私の平常運転なのだけど、たまたまチィ
ちゃんを読んでいただいたご年配の上品なご婦人が、果たして「ちんすこう」に耐え
られるものかどうか。こんなおげまんな文を読んでいただくだけでも恐縮だと
いうのに。

カギのコメントもそうだけど、私も他の方がやっているようにリンクをはりたいのだ。
こんな文ばっかりの(しかも長い)シモ系が多いブログにきていただく方に愛を込めて
ドドンとはりたい。

でも、まず貼り方が分からない。しかもお一人お一人に許可の申請とご挨拶メールをして、
などと考えているうちに、何時の間にか訪問者リストが200以上になっていて、なんだか
どうしていいかわからない感じ。

また別の人からのブロとも申請メールに貼ってあったリンクをクリックしてもそこに
飛ばなかったため、そのままFC2ブログに確認して下さいメールを返信。するとなぜか英語
で「自動送信発信のみのアドレスにメールを送り返されても…」的な、薄くイヤミなメールが
来て、自動メールにさえ馬鹿にされている。本当に救い様がない。

それでも何時の間にかこんなに幅広い年齢層の方に、しかも長さの割には内容の薄いww
私の文を読んでいただける事は本当に喜ばしいこと。

リンクを貼るのはしばらく先になりそうですが、最初の頃から応援していただいている
方から、毎日遊びにきていただいている方まで、本当にありがとうございます。

そして萌猫様。もし、「ちんすこう」を乗り越えて、まだ見ていただけている様でし
たら、今度は足跡を残して下さい。是非、そちらのブログにもお邪魔して、萌猫様が
何を考え、何を感じていらっしゃるのか、私にも共感させて下さい。

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ちんすこう
昼休みに席に戻ると、机の上にお土産が置いてある。お礼を言おうと思い、
隣の席の外人に誰が持ってきたのか聞いて、お土産は見ることなくそのまま机の
引き出しにしまった。

すると外人が怪訝な顔で私に何かを尋ねたそうにしている。大抵こういう時は
良からぬ事を聞いてくるので油断できない。

「ねぇねぇウォーリックさん、ちんすこうってなに」

ホラ来た。さらに続けて、

「What does "snack for night" mean (夜のお菓子の意味は何)?」

と聞いてくる。見れば、彼の手には握りしめられて、すでにボロボロのうなぎパイが。

有名な「夜のお菓子」のキャッチフレーズの横に、余計なことをして英語を
つけたりするからこういうことになる。ちなみに外人はアルファベットに飢えて
いるので、こういうキャッチは絶対に見逃さない。

「この前のケツダイラマンと一緒でエロいんでしょう、ウォーリックさん」

静かな昼休みのオフィスに、外人のなまった日本語が響き渡る。なぜに彼らは
ささやくということが出来ないのだろう。耳まで真っ赤な私の周りに、エロいという
フレーズを聞きつけた他の外人たちがわらわらと群がってきた。

「何がエロいの?」

声がおおきい...

ケツダイラマンとは、一種のアナグラム。松平健(マツダイラケン)を順不同
に入れ替えると、ケツダイラマンになるという2ちゃんネタを使って、先日、
日本語を教えたばかり。アナグラムはアルファベットを使うヨーロッパの言語では
よく知られていて、サスペンスの殺人事件の謎解きに使われたりする。ここから
一体どうしたら「ちんすこう」まで飛ぶのか、彼らの思考は計り知れない。

遠くを見つめて他人のふりをする私をよそに(早くあっちに行って)、きっと
ちんすこうの「ちんす」は、とか、「夜にうなぎを食べると」などと分析しながら、
それぞれに勝手な妄想を膨らましている。

ちなみに私はケツダイラマンがエロいなどとは一言も言っていない。
何か日本語で面白いアナグラムがあるかと聞かれたので、唯一知っている例を
教えてあげた恩を今、仇で返されているのだ。

話はどんどんとエスカレートし、日本語だった会話が英語に変わり、ここぞと
ばかりに下ネタが炸裂している。

(あっちに行って)

もはや私の事は眼中になく、先日見かけた奇妙な日本語英語ネタで大笑いして
いる。日本人の英語は、こうしていろいろなところで笑われているの。

例えばPocari Sweatは、英語で「ポカリの汗」、Calpisの英語発音はCaw Piss
(牛の小便)、「すらっと(Slut)」は英語で売春婦やおさせな女、チョコレートの
Fessはフランス語のFesse(ケツ)、Toyopetのpetはフランス語で(おなら)
などなど、商品名としてはありえない。こうした理由で、商品によっては、海外で
カルピスが別名称で展開されている(アメリカではCALPICO。話はちょっとそれる
けど、私は毎日飲んでいる)。


そして最強は、なんといっても商品名ではなく女優さんの名前。以前にも紹介した
通り、スペイン語で加賀まりこさんの名前が、「ウンコしろっ、オカマ!」の意味
になることはつとに有名。

何かとてもマニアックな意味合いで切ない...正確には、オカマは「まりこ」ではなく、
「マリコン」なのだけど。

私はもはや外人はどうでもよかった。

せっかくお土産に買って来た「うなぎパイ」や「ちんすこう」を外人にエロいなどと
言われているご本人たちに、せめてこの会話が聞こえません様にと祈っていた。



捨て猫チィちゃんの思い出
それは私が中央線沿線に住んでいる頃のこと。

私は毎日、駅からまっすぐにのびる商店街のアーケードを通って通勤していた。
このアーケードの最後には魚屋さんと八百屋さんがあり、そこから住宅街が
続いている。

ある日のこと、この八百屋さんで買い物を済ませた私は、店の横にうずたかく
積まれた野菜用の段ボールに目をやった。すると何気なく見ている私の目の前で、
段ボールが動いている。人の気配を感じた私がその背後に回り込むと、電信柱
を背もたれにし、捨てられたリカちゃん人形のように足を放り出して座り込む
ホームレスのおじさんを発見した。

がっくりと頭を落とし、身じろぎ一つしない。果たして息をしているものか
心配になった私の目の前に、おじさんの服の中から小さな小さな子猫が出て
きた。おそらく生まれて1ヵ月程の子猫は、短いしっぽをピンとたてて
胸を張り、私に向かって一生懸命に挨拶をしている。

すると死んだようになっていたおじさんがポケットからカニかまぼこを
取り出し、愛おし気に子猫をひざの上に抱き寄せてかまぼこを与えている。

私は勝手にこの子猫をチィちゃんと名づけ、以降、日々掛け捨ての愛情を注ぐ
ことになる。愛想のいいチィちゃんはすぐに商店街の人気者になり、体を
撫でるのに順番待ちができるほど。時にチビちゃんだったり、ミーちゃんだった
りと色々な名前で呼ばれながら、いつも元気に返事をしては頬ずりされて
イヤイヤをしている。魚屋と八百屋の間を行ったり来たりしながら、日々の
糧を得ていた。

特に魚屋のおじさんはチィちゃんのことが大好きで、わざわざイラストの
入った小さなお茶碗を買ってきて、ドライフードをあげていた。

そんなチィちゃんも、夜になると決まって帰る場所がある。段ボールの陰に
座るホームレスのおじさんの膝の上にのってグルグル言いながら眠りに
つくのだ。

お盆休みを田舎で過ごした私は、久しぶりの商店街を走り抜けていた。
チィちゃんが元気かどうか気になって仕方がなかったのだ。まっすぐなアーケード
を抜け、八百屋さんの前へ。なぜか魚屋さんは閉まっていて、チィちゃんの姿も
ない。八百屋のおばさんに、ここの猫ちゃんはどうしたんですか、と聞く私に、

「三日前に車にひかれて死んじゃったのよ」

という。私はこの瞬間、息ができなくなってしまった。慌てて隣を見ると、ホーム
レスのおじさんの段ボールもない。その所在を聞く私に、おばさんは、

「子猫がひかれた日からどこかに行ってしまったわ」

という。あれほどまでに可愛がっていたチィちゃんがいなくなってしまった今、
おじさんのことが心配で仕方がない。その日、アーケードに荷物の搬入で入って
きた軽トラックがそのままチィちゃんを轢き殺す。まっすぐに動かなくなった
チィちゃんの亡き骸を抱いたホームレスのおじさんは、泣きながらチィちゃんを
埋めていたという。

「それはどこですか」

道端にある街路樹のプラタナス。その下にチィちゃんは埋められた。そばに行くと、
踏み固められた土の隅にほんの小さな盛り土。こんなにも小さい体、と思う。この世に
世に生を受けてたった2ヵ月しか生きていないのに。

茫然としたまま何気なく木の裏に目をやると、そこにはチィちゃんの小さなお茶碗が
置かれ、その上には新しいカニかまぼこがパックのまま供えられていた。

「ああ、おじさんが...」

そう思った次の瞬間、私は声を出さないように走り出していた。

自分の部屋まで、誰にも見られませんように、クシャクシャでボロボロの顔を
見られませんように。


野良猫の平均寿命は3~4年と言われている。猫エイズをはじめとする感染症や
栄養失調、交通事故や人間による虐待。チィちゃんなんか2ヵ月しか生きることが
できなかった。ただそれでも、商店街のみんなに愛され、ホームレスのおじさん
に拾われて幸せだったのだと思いたい。

もし今猫を飼いたいと考えていらっしゃる方がいたら、是非、獣医さんの里親
募集や関連NPO、また保健所で殺処分を待つ猫たちの引き取りを含め、1匹でも
救ってあげてほしいと思う。

我が家の猫たちも以前4月21日の「家の猫たち」で書いた通り、皆、捨て猫
でした。血統書はありませんが、今やかけがえのない家族です。


富士登山
富士山が世界遺産になった!日本中におめでとう!
静岡と山梨県民ご一同様おめでとうございます!

フジヤマ、芸者。かつて富士を描いた浮世絵がヨーロッパの絵画に影響を与えたり、
ポストカードに描かれたり。高さはそこそこの山にもかかわらず、世界の人々に
これ程まで愛される富士山が世界遺産に選ばれたことは、日本人として誇りに
思わずにはいられない。

そして思い出す富士登山。

私のブログを少しでも読んでいただいた方であれば、私が山に登るような人間か
どうか容易にご想像がつくはず。爽やかな風に吹かれて山ガールとか無理。
私はおトイレが阿鼻叫喚な場所は嫌なのだ。

それはもう十年以上も前のこと。仙台に住むアメリカ人から富士山に行くと連絡
があった。山に登るという。「じゃ、頑張って」というと、私も一緒に登って
くれないかと言う。無理!一秒と間髪をおかず拒絶反応の私に、これまで
彼がどれほど尽くしてきたかと恩着せがましい説得が始まる。

誤解のないように書いておくと、彼はゲイで名前はNathan(ネーサン)。
日本語で流暢なオネエ言葉をあやつるので、名前にあやかって「お姉さん」と
呼んでいた。福山雅治を愛してやまない乙女である。

私の外人ネットワークは大体こんな感じ。来るものは拒まずの性格が幸い(多分
災い?)して、外人+オタクとか、外人+ゲイ、外人+引きこもりのような
訳ありばかり。

電話口でヒステリーを起こすアメリカンビッチに押し切られ、この私が
山に登ることになってしまった。

一体なにを持って行ったらいいか分からず、大きなリュックにいろいろ詰めた
私を見るや、新宿の深夜バスの入り口で私のリュックをお開きして、蓮舫のように
テキパキと仕分け始めるお姉さん。

「だからあんたはダメなのよ」

という。ちなみにガタイはよく、英語を話している限りウッフンな感じは
一切ない。自分が持って来たガイドを開いて、五号目から上の景色に想いをはせる
姿がいじらしくも痛々しい。痛々しいのはその格好。ピンクのスニーカーと
ターコイズのシャツは、この日のために新調したのだそう。斜めにかぶったキャップ
にはキラキラのスパンコールが。一体どこで買ったのよそれ。そして私はこの人と
3,000メートル以上一緒に歩くのだ。

深夜バスが五号目に着くと、なぜか大量の外人の群れ。私は知らなかったのだけど、
外人の間では富士山に登ることが一種のステータスらしく、皆、喜々として山頂を
目指す。我らの富士山はこれほどまでに愛されていると知ることができたのが、
この登山の唯一の収穫である。

歩き始めて1時間もしないうちに足がつる私。その都度立ち止まって、私の不甲斐なさ
を攻めさいなむオネエな外人。お姉さんはテニスとビーチバレー(なぜかこの世界の
人たちの間で人気)で日々鍛えてるマッチョなので、こんなことではへこたれない。

すると、後ろからやってくる半そで短パンの外人集団が追い越し際に、

「Stink! puke! shit smell!(クサイ!オェッ!ウンコのにおい」

と、叫んだ。確かにそばには山小屋便所が。ちなみに半そで短パンは、カナダ、
アメリカ、オーストラリア等新大陸系外人のデフォなファッション。センスとか一切
お構いなし。この外人のコメントに嫌な予感がした私をよそに、すでにお姉さんが彼らに
向かって叫んでいる。

「Indeed!(ホントに!)」

お姉さんは陽気なゲイで周囲の人をすぐに巻き込んでしまう。ウザいからやめて、という
私をよそに早速女子を中心に人気を集めている。私を見ながら、可愛い彼女ね!とお世辞を
いうオーストラリア人女性(やっぱり)に向かってオーマイガーとか言ってる。冗談じゃない
わよこっちだってねぇと戦いが始まり、あっという間に「面白い二人」ということで仲間に
された。

その後、山道はどんどん険しくなり一人で通るのがやっとになると、足の痛い私を先頭に
して歩こうということになり、その後に外人たちが一列に続いた。世も明け始めた薄明かりの
中、ふと後ろを振り返ると何時の間にやら総勢30名を超える外人部隊が出来上がり、口々に
ゴミが多いなどと文句を言いながら私の後を着いてくる。その遥か後方で、ニコニコと
手を振るお姉さんの姿が。

一体誰のせいで、こんな多国籍軍を率いる羽目になったのだ、と思う。昔読んだグリムの
おとぎ話。正直者のもつ金のガチョウにくっついて一列につながるマヌケな一団。私は今、
その先頭にたってうるさい外人たちを束ねていた。

山頂に着くと皆で一列になってご来光を待つ。このためだけに登ってきた私。
するとそれまで晴れていた空がにわかにかき曇り霧が発生。外人部隊の怒号飛び交う中、
小雨を受けながら下山を開始した。私はこの時まで山は登ったら同じ距離を下りる
のだという、しごく当たり前の事実に気づかなかった。急にテンションがおかしくなり、
お姉さんにあたり散らしながらようやく五号目にたどり着く。ちなみに五号目は
スッキリと晴れ渡っていました。

今となれば懐かしい思い出。でも、山登りと山のトイレはもうこりごりでございます。


かぶりもの
私はかぶりものが似合わない。
メガネやサングラスのたぐいに至っては絶望的である。

朝、会社に着くと、外人の同僚達が皆一斉にメガネ男子になっていた。一体
どうしたのと聞くと、PCからのブルーライトから目を守るためだと
ドヤ顔で言われた。

普段は日本人のことを流行り廃りに弱いなどと言っているくせに、人の
ことを言えた義理ではないわ、と思う。ただそれでも悔しいのは、皆、それなりに
メガネが似合っている。

彫りの深さの魔法で、普段より三割増しに見えるから不思議。
メガネが似合わない私に、いかにブルーライトが目によくないかを滔滔と説く
外人。おじけづいた私は、早速メガネを買いに行く事を心に決めた。

週末のショッピングセンター。このモールにJINSがある事を知っていた私は、
連れの友人をまいて一人になるチャンスを伺っていた。この友人は、私をさらに
2倍ほどパワーアップさせた毒舌女。私のサングラス姿を見られでもしたら、
どれほど無慈悲なコメントをばら撒かれるかしれたものではない。

帽子が見たい、という彼女の背中を押すと、待ち合わせの約束もそこそこに
JINSに走り出す私。彼女がかぶりものを物色している間にメガネを選んで
しまわないと。

JINSにつくと、あるわあるわ色とりどりのたくさんのフレーム。
さすがにこれだけあれば、せめて一つぐらい私にも似合うメガネがあるでしょ。

早速鏡の前でアーモンドフレームのピンクメガネをかける。
ロッテンマイヤーだ、却下。

スクエアフレームのペイルブルーメガネ。
昭和のスケバン、却下。

ラウンドフレームのベージュメガネ。
関西の女芸人、却下。

半ば絶望的になりながら、気分を変えようとサングラスコーナーにカニ歩き。

スクエアフレームのサングラス。
金総書記。ハリウッド映画に登場する国籍不明の謎の東洋人のようだわ、
などと思う、却下。

ラウンドフレームのサングラス。
男装したオカマ風味。二重否定のレトリックだ、却下。

そして、少し大きめの大内順子っぽいサングラスをかける私。
その時、鏡を覗き込む私の背後で聞き覚えのある大爆笑が。

私が油断している間に、毒舌女が一連の試着を覗き見していたのだ。
笑いが止まらない彼女の前で、大内順子のグラサンをかけた私は、衆人環視の中、
公開処刑の憂き目に立ち尽くしている。一体なんの罰ゲームよ。

涙目の彼女が一言。

「どこの秘密クラブのマダムかと思ったわ。オナベバーのぼったくりママ、ガハハ」

と言う。自分のコメントに受けてるんじゃないわよ。それに何よ秘密クラブって?
そもそも秘密クラブが分からないのに、そこのマダムと言われても。

気のせいか周囲の目が笑っている気がした私は、静かにサングラスを外した。

いまだブルーライトプロテクションのメガネは買っていない。


やさしさに包まれたなら
昨日の私のほんのつぶやきに、多くの方から励ましや
応援の言葉をいただき、本当にありがとうございました。

もともと現実の場面ではあまり弱音を吐かない頑固者で、
これまでも何かあればすべて一人で吸い込んできました。

人の悩み事は簡単に解決してあげられるのに、自分のこと
となるとからっきしダメな上、自分が辛いときはなぜか人に
頼ることができないおたんこなす。

ただ、こんなブラックホールにも飽和量はあるようで、
今回は容れ物の縁からサラサラと勝手にこぼれ出てしまい
ました。

ブログを書いた後も、あまりに刹那的な Twitter のようで
投稿することに少し躊躇したのですが、削除も面倒かと思い
そのままにしてしまいました。

その結果、思いがけず多くの方からコメントをいただいて心が
軽くなり、逆に削除などできないとても大切な1頁になりました。

教会のルーベンスを見ながら光の中に引き上げられていくネロと
パトラッシュのように私の周りには今、小さな天使たちが笛を
吹きながら飛んでいます。

(何だかよく分からなくてすみません)

このブログを始めて半年になりますが、互いのブログを訪れたこと
はあっても、顔はみたことのない多くの「友人」にやさしさをいただい
たように思います。

いろいろと解決しなければならない問題は山積していますが、
バッテリーは着々と充電中。

またいつものように毒を吐きまくることができるよう頑張ろう
と思います。

ありがとうございました!


かなしい気持ち
ここのところ会社で嫌なことが続き、ひたすらに気が滅入る。

いつもならガハハ笑いでやり過ごせるはずの小さなことが、心の片隅にこびりついて
離れない。

そんな心の乱れが、少しずつ私の生活を浸食している。

キッチンの片づけものがそのまま。
ブログの更新が遅くなった。
猫の爪磨きの周りが散らかっている。
なんだか髪型が岡っ引きみたいになっている。

リビングの床に座り込む。テレビからはサッカーと大雨のニュース。
今、九州や和歌山の人たちは大変なのだ。

部屋の片隅に座り込んだまま、聞くともなしにぼぅっとする。
いい思い出は単発でしか思い出さないのに、嫌なことはどうして芋づる式に連なって
押し寄せるのだろう。

今思い出さなくてもいいことまで背負い込んで、気持ちはますます海の底に
沈んでいく。

猫は私の気持ちがわかるから、今夜は誰も寄ってこない。

申し訳ない、もうちょっと待って。
あともう少しだけ落ちて底までたどり着いたら、すぐに戻ってくるから。
そうしたらまた遊ぼうね。

気分を変えようとダラダラと立ち上がる。
キッチンに立ち食器を洗い、マジックボールにソリューションを入れる。
グルグルと回り始めて、いい香りを部屋中にばら撒いていく。

コーヒーを入れて、liberaのCDをかけてみる。

気分は全然変わらない。

そしてメールが入る。

フランス人の子分からだ。

ケータイに届いたフランス語のメールは、アクセント記号がすべて文字化けして
何が書いてあるのか全然読めない。折角の思いやりが形にならない間抜けさに
つい笑いがこみ上げて、読めないメールの励ましに勝手に励まされた気分に
なってみる。

今の自分がこんな気持ちになっているのは、きっとお腹がすいていることが3割、
台風の雨が3割、そして会社の事が4割。

もしかしたら100%気のせいなのかも知れない。

明日は元気になるかなーっ!


梅雨時のお洗濯
梅雨の季節は洗濯物が大変。

生活感のあるお話で恐縮だけど、昼間仕事をしている人間にとってこの洗濯物と、
平日お昼しか動けない銀行の用事はまさに目の上のたんこぶ。

銀行については腹の立つことばかりではあっても、相手のあることなので
変えられない。でも、お洗濯は自分の工夫次第で何とかなると色々とやってみて
はいるのだけど。

この時期の湿度との戦いは本当に深刻。

週に何度かシーツの洗濯をする私。他の人がどれくらいの頻度で替えているのか
知らない。私の場合は、自分の気持ち悪さに加えて、毎夜、しとねを共にする猫たちの
抜け毛が気になって何度も洗ってしまう。猫は座敷猫で外には一切出ない潔癖症ばか
り。好きなだけ汚す割には、汚くなると本人たちが具合悪くなるという身勝手な愛玩
動物たちだ。

猫を飼っている方はご存じかと思うけど、体からの抜け毛に加えて、猫のヘアー
ボールというのがある。グルーミングで体をきれいになめた後、毛玉を吐き出したり
するアレ。

お風呂と歯磨きを終えて、さぁ睡眠!と向かったシーツの真ん中に、吐き出された
ばかりの新鮮な毛玉がこんもりとしていると、一日の疲れが20倍ぐらいになって跳ね
返ってくるのね。

そんな時はそのまま洗濯機を回して干してから眠りにつく。

今日も帰ってきてから軽く掃除を済ませ、2階の洗濯物干し専用の部屋にシーツを
確認に行く。ここのところのお天気のせいか、猫のヘアボール攻撃が激しく、替えの
シーツがなくなってしまったのだ。

洗濯物は基本部屋干し。2年前の3月11日を境に、洗濯物は1度も外に干していない。
申し訳ないけどあの一件以来、この手の政府発表は一切信じられなくなってしまった。
先日の東海村の実験施設だって、事故後の発表が遅れたり3日間も換気扇回したりで
放射能ダダ漏れ。さんまの塩焼きじゃないんだから、もう少し何とかしてよと思って
しまう。

さらに最近は、はるか中国大陸から花粉や黄砂に交じってPM2.5まで飛んでくると
いう。自動車用語を翻訳する際、排気に関連して出てくるのがparticulate
matter。この頭文字がPMで、おおよそこんな専門用語がニュースにのるなどとは
考えてもみなかった。

2階に上がり恐る恐るシーツに手をのばすと、本日のシーツはまだ生っぽい感じ。
そのまま乾燥機に放り込んで就寝時間まで回すことにした。これであのビミョーな匂い
も安心。

上で翻訳と書いた後で、友人からの翻訳依頼を思い出す。先ほどメールをひらくと、
以前300頁ほどの翻訳をしてあげた友人から、また100頁超のホームページ翻訳の
依頼のメールが入っていた。

お金というよりは、翻訳技術を磨きたいがため自分の知人を中心に仕事を受けている。
あくまで会社が優先のため、平日夜と週末を使いながらできる範囲での分量と納期。

それでも100頁となると結構な時間がかかりそうで悩む。

今、世界で脚光を浴びている電力関連の会社のホームページ。こちらは先ほどの
放射能とは関係のない本当のクリーンエネルギーなので、心情的にも抵抗はない。
ただ、新しい技術翻訳に加えて用語の日本語定訳もなさそうな感じなので、一つ
ひとつを検索しながらの手作業で時間もかかりそう。

会社の仕事との兼ね合いもあり今回は断ろうかと思いつつ、「他に頼る当てもない
から」と言われると結局協力せざるを得ない。

本人はまたイタリア出張とやらで、おいしいパスタとワインの日々を送っていると
書いてある。こっちは蒸し暑い梅雨空の下、猫が汚したシーツを洗っていると
いうのに、まったくいい気なものだと思う。まあ、この前の出張時にはお土産を
貰ってしまったので無碍にお断りもできない。

そろそろ乾燥機の設定時間が終わる頃なのだけど、乾いていなかったらどうしよう。
今夜ヘアーボールがきたら本当にアウトだ。


曇り空の月曜日
月曜日、朝の車窓再び。

電車の中は週末明けのブルーマンデーか、みんな少しだけ沈んで見える。
私はと言えば、日曜日を眠りに捧げたおかげですこぶる体調がいい。
寝だめはできないというけど、私に関してはこれが当てはまらない。
結構無理なく寝だめができてしまう。

他の人のブログをチェックしていると、昨日の「にゃるしぃの独りごと」さん
のブログが私の内容とまるかぶりで笑ってしまった。どうやら住んでいる地区が
同じようで、降りしきる雨に恐れをなしてお休みを棒に振ったご様子。

実は週末に巣ごもりという人はいがいに多いのかしらん?

「足立区綾瀬美術館annex」さんのブログでは、今秋、私の大好きなウィリアム
ターナーの展覧会があることを知る。この画家の作品はどれをとっても、何時間
見ていても飽きない。すぅっとその世界に吸い込まれて戻って来れなくなって
しまう不思議な魅力の作品ばかり。テートギャラリーで日なが一日眺めては、
現実に戻れなくなっていた頃を思い出した。この秋が楽しみで仕方がない。

また、「関東近辺の美術館めぐり〜美術・美景・美味を楽しむブログ〜」さんの
ブログでは、東京ステーションギャラリーでベルギーの印象派展を知る。
ベルギーの印象派の作品は見たことがないだけでなく、どのような画家がいる
のかも知らない。

改めて情弱な自分を再認識。

ステーションギャラリーはまだ行った事がないので、期間中に足を運びたい。

梅雨空の月曜日、今日も元気に行ってきます!


海外ドラマ
朝、目覚めるとあいにくの雨。

こんなに降っていると出かける気がしない、そう思って二度寝をする。
そして、目覚めたときのあの喪失感。

ああ、また大切なお休みを無駄にしてしまった。

もともと引きこもりがちだった私が、休日に出かけないと無駄に感じるまでになった転換点は
一体いつからなのだろうと思う。

今、これを書いているPCと私の間に猫が割って入ってきた。

休日の猫はいつもこう。本を読もうとすると、思いっきりその上に丸くなって眠る。
今もわざわざ自分から入ってきたくせに、PC操作で少しでも体に触れるととても迷惑な顔を
している。

どいてちょうだい。

話をもとに戻す。

目が覚めてからの私は、本日の外出をあきらめ家の掃除を始める。
その後、HDにたまっている海外ドラマを見ようとソファに腰を下ろした。勿論コーヒーと
ケーキはあらかじめテーブルに用意し、猫の妨害に合わない様、周囲をクッションでブロック。

たまっているラインナップを見て、我ながら幅の狭さに驚いた。
(猫がヒステリーを起こして私の手を噛み始める)

スーパーナチュラルとグリム。

この2ドラマはケーブルテレビでため撮りしているのだけど、どちらも化け物系。

私はドラマのプロットでも、弱いものいじめや正直者がバカをみるたぐい、また、ぬれぎぬを
着せられて誹謗中傷という流れが大の苦手。要するに往年の「水戸黄門」のように、最後は
偉い人が出てきて一気に事を処理してくれる、スッキリとした勧善懲悪が好き。

そこまでのプロセスはどんなに込み入っていても、最後はハッピーエンドというネタバレ
ストーリーでないと見た後にもの凄いストレスがたまってしまうのだ。

そこで色々と面倒なものをこそげ落としていくと、最後に残るのはオカルトかコメディーと
いう狭いジャンルになってしまった。コメディーについては、笑いのツボのズレ加減もあり、
結局残ったのがオカルト。オカルトでも、SFのようにありもしない宇宙からの飛来物や
宇宙人の攻撃でやられるというのはNG。やはり、人類の歴史の中で培われてきた怨念の
系譜や、中世ヨーロッパのカビ臭さのようなものがないと萌えない。

その意味でいうと、キアヌリーブスの「コンスタンチン」などは、どつぼ中のどつぼ
なのだけど、制作が決定がされた2作目ができる前に、主演のキアヌがデブになってしまった。
これでは、癌に犯され、日々砕身粉骨まさに骨身を削って悪魔と戦うヒーロー役がいささか
説得力に欠けてしまうと思うのは私だけであろうか。

中世の系譜という点では、この「グリム」にちょっと期待している。グリム童話が
下地にあって、あれは実は本当の話でした、というところから物語が始まっている。

放送は始まったばかりでまだ3話しか見ていないけど、今一つグリムとの関連が見えて
こないところと、主演の叔母役の女優が怖いという印象しかない。今後の展開を期待した
い。

私のように消去法でオカルトにたどり着いたという人は、果たして他にもいるのかしら
と思う。



足が止まるもの
昨日は久しぶりの静かな金曜日を目指して胸躍らせて帰途についた私。

その意気込みは少なくとも東京駅まで続いていた。電車の中でブログに書きたいテーマ
がたくさん出て来て、さてどうしようかと悩んでしまった。

そして遭遇した腐女子デブ祭り。

彼女たちの出現で、食事の後で書こうと思っていたことが全部飛んでしまい、結局昨日の
内容に落ち着く。

まあ、正直な私の日常といえば日常。この「飛んでしまう」という事がいかに私の人生を
支配しているかということ。

親が思う通りの過ごし方が一切できなかったという、私の子供時代。私の足が止まって
動かなくなるのは、お菓子屋さんの前でもおもちゃ屋さんの前でもない。魚屋、特に
生簀があったりすると、生きたさかな見たさにいつまでもその場を離れようとしなかっ
たという。

そして、それまで泣いていたことも笑っていたこともすべて飛んでしまい、
とても幸せそうに大人しくなったそう。その他のキーワードは、動物とお花。生垣に
咲いたラッパ水仙や、ブロック塀の上に横たわる猫、雨上がりの水たまりを泳ぐ
ミジンコやザリガニを見つけると、やはりそこから石のように動かなくなって
しまったらしい。

そして、ウン十年経った今日の私。ショッピングセンターに2件あるペットショップで、
閉じ込められた犬、猫と時を忘れた心の交流。まるまると太ったげっ歯類たちと
コミュニケーションをはかり、FrancFrancを始めとする雑貨のお店でお花関係の
雑貨を物色後、陳列してあるアロマオイル全種類のサンプルを嗅ぎまくっては、
クシャミが止まらなくなったりした。

そして少し足が疲れたなと思い本屋を出てふと時計を見ると、なんとすでに夜の8時
をまわっているではないか。

今日は、そもそも何をしようと買い物に出かけたのか…そう、あまりのペットボトル
の山に嫌気がさして、ウォーターサーバーを見ようと思って家を後にしたはず。

ヒトカラやマッサージといった習慣は無意識に実行できても、途中で動物や美しげ
なものに引っかかるとすべての想いが飛ぶのは、今も昔もちっとも変わっていない。

これからどこに行けばウォーターサーバーを見つけられるのだろう。


金曜日の出来事
ここのところ週末の金曜日は忙しかった。

と言っても、よく趣旨の分からない宴会の幹事だったり、同僚外人の愚痴大会
だったりと振り回された金曜日が続いた。

今日は残業もそこそこにPCを落とす。声をかけてきそうな同僚から目をそらし
エレベーターに一人乗り込むと、気が狂ったように1階を連打。エレベーターが
1階に着くや、エントランスホールを横切り、駅までイノシシのように走る。

何かもう1分1秒でも会社の空気を吸いたくない気分だった。
今日こそは心静かな週末を過ごしたい。そう思って東京駅の地下に向かった。

いつもの五右衛門で、いつものお一人様席で、いつものジェノベーゼ
を頼む。ウェイトレスのお姉さんに、お飲物は食後ですよね?などと聞かれ、
いつの間にか顔になっていて恥ずかしい。東京駅周辺に3件ほどあるので、
これからはローテーションを組もうと決心する。

デザートのブリュレを食べていると、隣の席に腐女子の2人組が来た。
もともと狭い店内に目いっぱいの客席をしつらえるものだから、それぞれの席が
ものすごく近接してしまう。

腐女子は2人共デブで、しかも大きな痛いアニメ柄の紙袋をもっていた。私はオタ
クにもデブにも基本的に寛大な人間だと思う。ただ今日の2人はハイパーだった。

私の隣に案内されたデブ子の一人が、幅30センチほどのテーブル間をこちらに
向かって突進してくる。太もも一本でさえ通らないのは目に見えてわかるのだけど、
なぜかゴリ押し。彼女の体の車体感覚は完全に麻痺していた。

無理無理に押し入るから、アンコウのようなお尻で私の肘をタックル。その
勢いでブリュレが破壊されてお皿の外に飛び出した。呆気にとられて茫然とする私に
気づくこともなく、そのまま隣に腰を下ろす。腹筋を使って静かに腰を下ろすなどと
いう高度なたしなみも期待できず、どっかんと落下。ソファの沈みはハンパなく、
微妙にデブ子方面に傾く私。

するとそんなところだけ余計な気をきかせて、

「(もう一人の)デブ子Bちゃん、荷物こっちに置いてあげる」

とアニメ声で言い放った。

すでに自分の体で目一杯の座席の横は、基本私の荷物スペースなのだけど、そこに
容赦なくイタ車柄の紙袋が置かれる。

「狭くっていやね、ここの席」

と、チラリとこちらをみた時は、さすがに軽い殺意。

そこからは今訪れてきたばかりの秋葉原のアニオタ専門店について、興奮さめやらぬ
様子のマシンガントークが炸裂。注文を取りにきたお姉さんを3回ほど追い返しては
口から泡を吹いている。

すると、向かい側に座っていたデブ子Bが膝にのせていた紙ナプキンをはらりと落と
した。なぜかそれをじっと見つめるデブ子B。20秒ほどの沈黙を破り、意を決したかの
ようにナプキンに手を伸ばした瞬間、前に折り曲げた体が一瞬で後ろにはじき飛ばされ、
髪の毛がバラリと乱れた。エクソシストで悪魔が乗り移った少女が後ろにもの凄い
勢いでバウンドする、まさにあの感覚。何かのり移った?

すると何事もなかったかのように私の横に座るデブ子Aが声をかけた。

「体沈めないからよ!」

意味が分からない。
すると次の瞬間おもむろにデブ子Bが席を立つ。そしてそのままゆっくりと
スクワットをすると、体を曲げることなく手を伸ばしナプキンを拾って席にもどった。
その後、会話に聞き耳をたてていると、体を前屈するとお腹の肉にバウンドして首に
くるとか、体育座りできないもんね、などと話している。知らなかったデブの秘密....

デブ子Aの突撃でまがったテーブルを直し、ブリュレをお皿に戻しながら色々大変
なのねと思う。すると今度は左のテーブルが曲がった。

右隣のデブ子に気をとられて油断している間に、左隣とそのまた隣にもデブが座って
いる。気がつけば店内そこかしこに同じ紙袋をもった腐女子のデブ祭り。今日は
何かのイベント開催日?

あちからかもこちらからも「私こんなに食べられない」とか「飲み物はウーロン茶で」
などとデブの小食アピールが聞こえてくる。いずれもアニメ声の「です、ます」調で
しゃべり、アヒル口を作っては必死に誰かになろうとしている。誰?

また、五右衛門はフォークではなくお箸でパスタを食べるので、気をつけない
と下品になるのだけど、店内を占拠した自称「ちょっとふっくら、薄くぽっちゃり」
力士たちは、まるで飲み物のようにパスタをすすっている。

破壊されたブリュレとソーメンのようにパスタをすする音にいたたまれなくなり
そのまま店を出た。

あの集団はいったい何の団体だったのだろう。まさか、すべて個別のデブ子が
偶然にもあの時間、あの場所に集合していたのだとしたら、世にも不可思議な現象
である。

そしてまた私の静かな金曜日は露と消えた。


街の色
朝の車窓再び。

私が住む海辺の街は、今朝も霧のようなサラサラとした雨が降っている。
ビルの中層階までもやに覆われて、空も海も灰色一色。

ここまでモノトーンの世界になると鮮やかな色彩が恋しくなる。

長く続いた冬の沈黙を突き破り梅や桜が彩りのスタートを切る。
菜の花の黄色、ツツジの紫、芝桜のピンク。
そして目にも鮮やかな新緑の萌黄色。

街も山もカラフルな色彩に包まれて賑やかだったあの春の情景が
すでに懐かしい。

まだ、梅雨は始まったばかり。色味のない雨の日々を楽しむ余裕が
欲しい。

ブツブツとそんな愚痴をこぼしながら歩いていると、コンビニの軒先で
けたたましく鳴きわめく小集団を発見。

小さな巣にみっちりと詰まった5羽のツバメのヒナが、横一列に並んでこちらを
見ている。みんな同じ顔。親鳥はこの街のどこからエサを見つけて
くるのかしらん。ピピピとハイピッチな電子音でママにご飯をねだる姿が
本当に愛らしい。

春の色彩や街を包むかぐわしい香りはないけれど、季節は着実に
時を刻んでいる。

真っ白な朝の街に、ツバメのヒナたちの元気な声がこだましている。


タイの思い出
私のブログを見て下さっているメロンボールさんが「文学のメロンボール IN 香港」
というブログでタイの旅行に触れています。私もタイが大好きで、これまで2回
ほど微笑みの国にお邪魔したことがある。

1回目はボランティアで体重90キロの車椅子青年の介助役として。2回目は
プライベート旅行でフランス人の友達(会社の子分ではない)と2人で
訪れた。

今回は2回目の旅行について書こうと思う。

発展途上系の国は少し不安があったので、あらかじめガイド付きのパッケージ
ツアーを予約して出発。ゴールデンウィーク期間でバンコクの天気は不安定
だった。

タイ人のガイドさんは本当に親切で、食べていいもの、悪いものを一つひとつ
教えてくれた。そんな中でも、タイに来たら絶対のお勧めがあるという。
散々勿体ぶって引っ張った挙句、いよいよ発表という時、その品名を聞いて
ツアー参加者の全員が倒れそうになった。

「それはマンコジュースです」

いきなりの放送禁止用語ですみません。ただ、ブログタイトルが阿鼻叫喚な
以上、避けては通れないしょっぱい経験。何でジュースの濁点は発音できる
のに、マンゴーは発音できないの?

怪訝な顔つきで日本人のリアクションを伺うフランス人の友だち。いくら
同性でもここで意味を説明する訳にもいかず、平静を装う私。まるで何事も
なかったかのように振舞う日本人たちには一切お構いなしで、繰り返し
ジュースを熱く語る彼が微笑ましい。

明かに買春目的に見える親父の一団がいつまでも引きずっていて心からキモイ
ので、お約束のビームを発射しておいた。

日本人観光客向けのツアーなので、レストランもホテルも清潔で品のある
セレクト。おかげさまで辛すぎないトムヤムクンを堪能できました。

そんなのはつまらないという人もいるけど、お腹を壊してずっとホテルに
こもりっきりだった友人の話や、子供のスリにあいトラウマになった
知り合いのエピソードで耳年増になっていた私は、少なくとも綺麗なトイレ
の確保に全力を努めた。

街のいたるところに眠る捨て犬や捨て猫。皆、ガリガリに痩せてきたない
にもかかわらず、誰も追い払おうとはしない。ワットポーの入り口の枕木に
顔を伏せて爆睡する子猫を見て、この国は人のみならず生きとし生ける
すべてのものに優しいのだと感動する。

夕方にはスコールになり、雷鳴が轟く。膝まで洪水に浸りながら、それでもみんな
ニコニコしているのだ。

人の優しさが嬉しくて調子にのった我々は夜遊びに出かけた。

そして、それは街に出てすぐに起こった。狭い路地を歩いていると、何やら向こう
からほふく前進で近づいてくる黒い影。暗闇で目を凝らすと、それは片足のない男性
で、全身の皮膚がただれていた。地面に這いつくばい、不自由な右手で何かを
一生懸命に掻き集めている。

どうやらザルに投げ入れてもらっていたお金を誰かが蹴飛ばしてしまい、
お金が当たり一面にばら撒かれてしまったらしい。ふと顔を見ると、その男の人
は声を出さずに泣いていた。

フランス人の友人は結構ドライで、パリにはアルジェリア人の子供スリや
ジプシーの肢体不自由者が見せ物になっているわよ、とあっけらかんとして
いる。私は出来れば人生の最後の最後まで耳と目に蓋をして知らなかったこと
にしたい事実だった。

落ち込む私を励まそうと、友人が次の日アユタヤへのオプションツアーに
申し込んでくれていた。アユタヤの遺跡は思ったより小ぶりだったけど、
2人でゾウに揺られて遺跡の中を練り歩くことができた。乗り心地はすこぶる
よくない。

肩の上に設置されたベンチがゾウの歩みに合わせてシーソー状態に動き、
死に物狂いで捕まる2人。お互いにあんたがデブだからと責任をなすり合い、
これはこれで楽しい思い出になった。ただ、ゾウ使いのカマがゾウを叩くたびに
虐待かしらと気になってしょうがなかった。ちなみにゾウはとってもくさい。

アユタヤの締めとして、ガイドさんイチオシのマンゴージュースを堪能した。

それでもアユタヤの街中に貼られたエイズのポスターは痛々しく、結局、旅の後半は
湿った感じになってしまう。バンコクで赤十字を探し、せめてHIVキャリアのため
にと余ったバーツを募金をした。すると、フランス人の友人が息せき切ってかけて
きた。

受付の女性がお礼にとこんないいものをくれたわ、とはしゃぐ彼女の手には、
スネークセンターの無料チケットがしっかりと握られていた…



雨は蕭蕭と
朝の車窓。台風のせいか、今日は梅雨らしく雨が降っている。

絹のようにさらさらと降る雨に、遠い昔習った三好達治の詩を思い出した。
蕭々と降る雨の中、黙々と草を食む馬と大阿蘇を詠ったあの詩。
きっと馬のたてがみを濡らした雨も、こんな雨だったのかもしれない。

馬は天才ニーチェの最期を思い起こさせる。
その晩年精神に異常をきたしたニーチェは、窓の外で鞭打たれる馬の首に
とりすがり泣いていたという。

一体彼の心に何が起こったというのだろう。

先日テレビの舞台挨拶か何かで、俳優の佐藤浩市さんがニーチェの
言葉を引用していた。

「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気を
つけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。」

一体どういう文脈でこの言葉を使っていたのか覚えていない。でも、馬の首に
取りすがり泣くニーチェは、狂気の中で覗いてはいけない深淵を見てしまったの
かもしれない。私も深淵を覗いてみたい。でも深淵に覗かれるのはお断り
したい。

「善悪の彼岸」。人生の最期、彼が提唱した既存の倫理や道徳を超えたところに
彼自身が見たものは、超人でも何でもない。ただ馬を愛する一人の孤独な人間で
あったのかも知れない。

蕭々と降る早朝の雨の空、馬とニーチェに思いを馳せた。



怖いもの
怖いもの。

私はヘビが大の苦手。

以前タイに遊びに行った時、後ろからニシキヘビを首にかけられて気を失ったこと
がある。本人の了解なく勝手にヘビを仕込んでは写真をとり、さあ金を払えという
アレだ。

今でも忘れられない、あの冷んやりとした感触。

さらに恐ろしかったのは子供の頃。
夜、トイレにいった私は何かを踏んだ。寝ぼけ眼で周囲を見渡すものの何もない。
そのままベッドに戻り爆睡した。

次の朝布団をめくると、シーツが血だらけになっている。恐ろしくなり母親を呼ぶ
私。原因不明の血痕をいぶかしそうに見つめる母。ゆっくりとめくりあげた布団の
中身を見るや、2人でその場に倒れた。

そこには首がもげた1メートル以上のアオダイショウの胴体。

どうやら夜の間に外に出かけた我が家の猫が、今日の獲物を見せに来たらしい。
ベッドの下で誇らしげに座る彼の口元はヘビの鮮血で真っ赤に染められていた。

次に怖いのは、オオカマキリ。
今でこそ昆虫はNGでも、子供の頃は昆虫博士としてブイブイ言わせていた私は
周囲からそれは不気味がられていた。

それは学校の帰り道で起こった。
小さな農道の道端を卵でみっちりと膨れたお腹を引きずりながら、オオカマキリの
メスが歩いている。おおっ、これは!とばかりに手を伸ばす私。

カマでやられないように、ちょうど体の真ん中をつまみ上げた。
その瞬間、重みで限界だったオオカマキリの下半身がボトリと音を立てて道路に
落ちる。

恐怖で固まった私の手の中で、下半身を失ったカマキリがもがいている。
でも、怖くて手から離せない。
さらにふと地面の下半身に目をやると、パタパタと足を動かすそのお尻から
銅線のような寄生虫をにゅるにゅると発射している。
虫に寄生する虫…

絶叫する私の手から、ミカコちゃんがカマキリをもぎ取ってくれた。
その後一度も振り返ることもなく、イノシシのように走り去った。

3つ目はスッポン。

学生時代に、渋谷のセンター街を友人とハンズ方面に向かっていた私。
すると大きな水槽を泳ぐスッポンの群れを発見した。こういうものは絶対に
足を止めて見ないと気が済まない私。ああ、体に節目がない、などと思いながら
ツルツルのスッポンを見ていた。

そして耳をつんざく友人の悲鳴。私の足元を指差す手が震えている。
恐る恐る見ると、そこにはほんの今刈り取られたばかりのスッポンの生首が、
口をパクパクさせながら断末魔の目で私を見つめていた。

ここはスッポンの専門店。デモンストレーションの一環として、店頭でスッポンを
さばいている真っ最中だった。まな板から転げ落ちた生首は、コロコロと私の足もとを
過ぎるとそのまま坂道を転げていった…

このスッポンを図らずも最近テレビで見てしまった。
70歳をこえても現役を誇る双子の演歌歌手こまどり姉妹。このこまどり姉妹そのものが
十分怖いのだけど、チャンネルを合わせるやいなや、長寿の秘訣と称してスッポンの
生き血をグイグイあおっている。その後、コラーゲンの補給よ、などと言いながら
スッポンのバラバラ死体を突ついている。

そしてこまどり姉妹の口から、ジャンケンのパーの形をしたスッポンの手が飛び出て
いるのを、私は見逃さなかった。

一番怖いのはこまどり姉妹だということに気づいた瞬間でした。



生きるということ
私のブログを訪れてくれる人の中に、日々「生きる」ということを見せてくれる人がいる。

勿論、私はその人のことをブログを通じてしか知らない。

私が知っていることといえば、どうやら山梨にご家族と住んでいて、仕事の他にバイトも
され、また、畑では無農薬の野菜を作っているということ。自転車が好きで、休み
の日にはペペロンチーノを作り一人で食べていることぐらい。

朝早く起きて一生懸命家族のために働き、そして疲れて眠りにつく。

何かとてもすがすがしくて、まさに日々の一瞬一瞬その瞬間をしっかりと生きている感じが
する。そして、そうした生き様がブログ全体から鮮明に伝わってくる。奇をてらわず、策を
弄せず、言葉を飾ることなく、あるがままに生きる姿勢。彼の飾り気のないストレートな
ブログを訪れると、私はとても癒される。

翻って自分のブログのあり方を考える。一体ここを訪れ読んだ人達はどういう感覚をもって
去っていくのだろうと考えると、甚だ心もとない。

この山梨の方は、考えるよりも行動することで生きている。

私はちっとも前に進まない。

私のように自分の感情や感覚と体がここまで分離している人間も珍しい。
急いでいるのは心だけ。まさに、老人の早歩き。一生懸命急いで見えるのは上半身だけで、
下半身は歩いて平行移動。

先週の土曜日「港にて」で書いた通り、私は半身不随の犬を見つけ、夜の港のベンチで
ブログを書いた。その後、iPadをもったままベンチに座って動かなくなった。
気が付くとどうやら20分ほど泣いていたらしく、海風の猛烈な寒さで正気に戻る。
家に帰ると何やら風邪を引いているような、いないような。

本当に訳が分からない。別に海辺でブログを更新する必要もなく、まして、そこにへばり
ついて風邪を引くなどおめでたさの極みである。非生産的な人間で、何かをするのに人の何倍
もの時間が必要な人間なのだと思う。

この時間、おそらく山梨のブログの人は家族のためにバイトで雨の中を走っているに違いない。
犬をみて風邪気味になっている誰かさんとは大違いだ。
こうして人生を終えたとき、それぞれが成し遂げた人生の深みや重みといったものにきっと
大きな差がでてくるのだと思う。

この山梨の人以外にも、新社会人になってすぐ異動を経験し、日々声をからして仕事に
励む人、自らの芸術創生を探求する人、サラリーマンをしながら本を読み書評を書き
続ける人、カメラで日常を切り取り続ける人、美術館を巡りライターとして芸術を紹介
する人、文芸批評や小説を書いている人、イラストが上手な学生さん、その他、多くの人々の
ブログを通して私は励まされ、そして、不安になっている。

もう少しだけ早く歩きたい。



男だか女だか
先週の金曜日、会社を出ようとするとアメリカ人の同僚が近づいてくる。
今日は残業をしたくない気分だから、飲みに付き合えという。

もう帰りたいから行きたくない、という私に、実はいろいろ溜まっているから
聞いてくれないかと言う。このアメリカ人は、先日私を泉ピン子呼ばわりした
キャシーベイツとは違う人物。日本人妻と子役モデルをするハーフの子供がいる
若いパパだ。白人としては小柄ながら、なかなかのハンサム。有名なボディ
ビルダージムでエクスサイズにも余念がない。

外国人の同僚の中で一番付き合いが長い彼のたっての頼みとあれば、無碍に
断ることもできない。

会社に近いパブスタイルのバーに行く。カウンターに通されると、フィッシュ
アンドチップスを頼む彼。これを肴に、ベルギーのビールを何本も飲むのが彼の
スタイルだ。

お酒が一切飲めない私にとって、ビールの味のウンチクを語られても何も
わからない。彼のお気に入りのビールは、コリアンダーが入ったヒューガルデン
ホワイトというビールで、これをボトルで飲んでいる。何でもとてもスッキリして
美味しいのだそう。

酒の肴のフィッシュアンドチップスはなかなか量が多く、白身魚もジャガイモも
油で揚げてあるため、お酒が進むにつれてトイレに行く回数が増える彼。油ものが
お腹に合わないのならなんでいつもこれを頼むのだろう。

「Because its first bite is extremely delicious 一口目がとっても美味しくて」

だからやめられない、と言ってはトイレに駆け込んでいる。

お酒が進むにつれて会話はどんどん英語になっていくことは仕方がないが、
話題については社内の噂話が多く、これにお腹いっぱいになって二人で店を出た。

帰りがけ電車に乗り込むと、ちょうど二人分空いていた席に腰を下ろす。座るやいなや、
また土曜日が休日出勤になった、などと嘆いている。その時、突然英語になり、「向かい側に
座る人は女だと思う?」と聞いてきた。

斜め向かいに座るのは中年の女性。膝上20センチのミニのワンピースを来た
彼女は、足の間に大きなキャリーケースを挟んで電話をかけている。年の頃は
50才ぐらい。大股開きのせいで、スカートはますますずり上がっていく。ただ、
私の目には男ではなく、少しだらしのない中年女性に見えた。

しかし、彼は絶対に男だといって引かない。彼が日本で見た目の性別にこだわる
ようになったのには訳がある。以前、2月のブログ「性同一性障害」で書いたように、
私の職場には入社時から徐々に時間をかけて性別を変えた人物がいた。この人物が
心身ともに女へのメタモルフォーゼを完了した時期に入社してきた彼は、当初、
この彼女(彼)をいたく気に入っていた。

「ねえ、ウォーリックさん。◯◯ちゃんは背が高くてモデルみたい」

と、鼻の下をのばしている。「当たり前じゃない、ついこの前まで男だもの」と
思いながらも、彼女が今女性として生きている限り、私の口からは何も言わない
と心に決めていた。

その日のうちに彼女がかつて男だったことを職場のおしゃべりおばさんから聞き
つけ、私を問いつめる彼。

「どうして知っているのに教えてくれなかった?危うく声をかけるところだった」

などと逆切れしている。

「それほど気にいったのならなぜ声をかけないの」

と、問い返す私。サンフランシスコで大学時代を過ごした割にはこの手のことに
免疫のない彼に、逆に私が驚いた。ご存じの通り、サンフランシスコはアメリカの
ゲイキャピタル。街にはハードゲイからトランスヴェスタイト、トランスジェンダーから
普通のゲイまで一通り住んでいる。ここにトランスセクシャルの一人や二人いたところ
で、何をそんなに驚くことがあろう。

「だってここは日本の普通の会社だから」

と言う。確かに日々少しずつ性別が変容していく同僚を目にする機会はなかなか
ないとはいえ、日本でも増えてきているのは事実。ただ、彼にとってはこれが
ひどいトラウマになったらしく、ちょっと可愛い女の子を見つけると、すぐに私に
性別確認をするようになった。本当に油断できない、などと言っている。

「やっぱり僕は男だと思う。アルソックのレスリング選手と同じ顔をしている」

ふと気づくと、彼はまだ先ほどの女性の性別を疑っているらしかった。彼は、常々
レスリングの吉田沙保里選手が男だといってきかない。CMで天井に張り付いて目から
ビームを発射する彼女が怖くて仕方ないという。いくら私が、金メダルを3個もとった
無敵のレスラーで国民栄誉賞ももらったスーパーウーマンだといっても、いや、
きっと男に違いないと言い張る。本当に失礼な話だ。

そう言われて改めて斜め向かいの女性を見ると、確かに顔は吉田沙保里。髪もスト
レートの真ん中分けだ。あまりに似ていたのでちょっと見つめていると、股を開い
て右手で内股をボリボリと掻き始めたので、私も少し疑い始める。

ほらね、と言わんばかりの彼に笑いをおさえていると、次の駅でキャリーケースを
引きずりながらドタバタと下りて行った。あまりに股を広げ過ぎたため、その後ろ
姿はミニスカートの片側がめくれ上がって降りてこない状態に。自らが半ケツに
なっていることに気づかぬままゴロゴロと音を立てて駅のホームをねり歩いて行く。

同僚はスマホに目を落とし、このとどめの一撃を目にすることはなかった。




港にて
今、私の目の前50センチには海が広がっている。
私は今、港のベンチに座ってこの文章を書いている。

いつもと同じ土曜日を過ごして最寄りの駅に降りたつと、街中が海の香りに
包まれたいた。

今日は風が強い。

夕暮れ時の一番美しい時間。
日没に間に合えば、と思って、海まで夕陽を見に行くことにした。
昆虫が苦手、トイレのないところは嫌だなどといいつつ、こうして都合のいい時だけ
自然に助けを求める。私は、本当に身勝手だ。

綺麗に整備された港のプロムナードには等間隔にランプがともり、
なぜかカップルの姿もない。

夕陽の大空を飛行機が横切り、そして、急行列車の遠鳴りが沈黙を破る。
今日は風が強い。

風が吹いている。

目の前に波打つ海面にランプの灯が揺れ、街全体が磯の香りにつつまれている。

太陽は沈んだ。でもまだ大丈夫。その力の残像が私に猶予をくれている間に、
心にたまった辛いことたちを海に持っていてもらおう。

風が吹いている。

すると、うしろ足にギブスと車輪をつけたミニチュアダックスが目の前を横切った。
何だかとても嬉しそうに海辺を歩いている。

数歩先を行くご主人に追いつくために、一生懸命歩いている。
きっとご主人に作ってもらったと思われる赤と白の大きな車輪をつけて、誇らしげに
歩いている。息を切らしながら、でも胸を張って歩いている。

うしろ足は車輪の上でピクリともしない。なのに何であんなに嬉しいのだろう。



今日私は海を見にきて、この小さな命を見つけた。

「あなたは生きているだけで、そして、大好きなご主人とお散歩ができるだけで
幸せなのね?」

「そう、この車輪がついていれば、どこにでも行けるよ。ちょっと人より時間がかかるだけ。
でもちゃんと歩いていける。あなたは自分の足があるのに、どうして自分で歩こうと
しないの?」

そう言っている。

今日私が海に来た理由は、何か許せないことがあったから。ここにくれば何とかなると
思っていた。「許す」って、なんて傲慢な言葉だろう。

「大丈夫だよ」

プロムナードのレンガにつまづきながら、振り向きざまに車輪の犬が言う。

「きっと大丈夫…」

風が吹いている、風が、吹いている…




先祖の井戸にいるサマリアの女
昨日のブログで、アメリカ人に奈落の底へ突き落とされたと書いた後で、無意識に
つけたワンフレーズ「貞子の井戸」。

この井戸つながりで思い出したのが、サビアン占星術。比較的新しい占いで、
アメリカのマーク・エドモンド・ジョーンズとエリス・フィーラー、ディーン・
ルディアによって体系化されたらしい。チャネラーがメッセージを受け取りながら、
一年365日分それぞれの誕生日を深く意味付けしたもの。

私のサビアンシンボルは、

「先祖の井戸にいるサマリアの女」

ちょっと怪しい感じ。この「井戸にいる」がポイントで、一部、井戸のそばの訳も
あるのだけど、どっぷり井戸の底の時もある。ソースの英語を見て見ないと何とも
言えないのだけど、井戸の中でおおいなる精神の覚醒を待つ度数なのだそう。

もともと聖書から切り取られたエピソードは、井戸を訪れたキリストとサマリアの
女の出会いに始まる。この日この度数で生まれた人は、人生に何度も逆境や
差別に出会い、絶望的な孤独の中でこそ真理に目覚めるという、あまりありがたくない
ご神託。絶望的な孤独、絶対的な真理、そして大逆転の度数。さらに井戸には、
無尽蔵な潜在能力という意味もあって、このおたんこなすのサマリア女はそれに
気づいていないという。

何だかとってもモヤモヤしているのだけど、私には何を言わんとしているか
とてもよくわかってしまう。そして、これも無意識につけたブログタイトルの
「阿鼻叫喚」。決して静かではない私を取り巻く環境を見るにつけ、きっとこれから
も色々なことが山盛りに起こるんだろうな、と思ってしまう。

この日記を書こうと資料を漁っていると、同じ度数の井戸女がブログを書いて
いる。ほんの数行読んだだけで、何か口には出せない同調性、同じ戦場で戦う兵士の
ような共感をもつ。

今までの私は、井戸の底で真理の光が降り注いでくれるのを待っていた。
そして、いつの日かキリストが降りて来て、何事もなかったかのように助け上げて
くれると信じていた。

でもそんなことは何も起こらなかった。

井戸の底の貞子は今、自分でこの壁を登る準備をしています。




女優と呼ばれて
いつものように電車の中で、他の人たちのブログを訪れる。

ああ、今日は更新がない、などと心の中で思いながら、今日もブログをチェックする。
もはや他人とは思えないほどの心理的な距離。画面を開くや否や、パッと目に飛び込んで
くる個性豊かなトップページ。毎日、とっておきの写真や文章で綴られるそれぞれの「顔」
に、一人ひとりのブログへの愛情が感じられて楽しい。

と、ここまで書いたところで、目の前に立つ男性が咳をする。それに続いてくしゃみの連発。

「ん?」

私の頭の上に、クエスチョンマークが3つ。音声が乱れている。
固太りな感じの坊主頭で、身長は1m65cmほど。スーツを着ているものの、ソックスが
レインボーカラーなのを、私は見逃さない。ある範疇に住む人々を見抜く目だけは
こえている。

目は口ほどにというけれど、そこはどうして、声もなかなかあなどれないの。

男らしい大きなくしゃみの後で、そっと鼻から抜ける「ウッフン」。続く咳の語尾
にかすかに残る「アハン」の余韻。オネエマンだわ!

どんなに頑張っても隠しおおせるものではない。不意に電車に駆け込む時の小走り
や、グラスを持つ手の不自然な小指の立ち具合、そして何より無駄に長いまつ毛
とうるんだ瞳。お姉さん、もうバレバレよ。

特に坊主頭で男らしさを無理無理に演出しようとするからこんな痛いことになるの。
何一つ恥じるこたあない。そのままでいいのよ、あなたのままで。

自分のことがわかっていない最たる例がこの私。人のことは何一つ言えたものでは
ない。

先日、私の友人が放った一言は、私を奈落の底に突き落とした。貞子の井戸。
例の宴会の席で、アメリカ人の友人がニコニコと話しかけてくる。

「あのね、ウォーリックさんは女優さんに似てる」

「えっ?」

我が耳を疑いながら、きっと私の顔は輝いていたと思う。なぜならこの人物は
堅物で、決して気の利いた冗談など言えるタイプではないのだ。

身を乗り出してその名前を待つ私。周囲も興味を持って固唾をのむ。

「TBSのアナウンサーとバスガイドのコスプレで…」

ええっ、と思う。コスプレという言葉で、すでに尋常な女優ではない。
周囲からクスクスとこぼれ笑い。

「あの旅行のCMの、ピンコ・イズミだよう」

何よ、その「…だよう」って。どうせこんなオチだろうと思った。酒に任せて
衆人大爆笑の渦の中、また私の目からビームが発せられているのを感じる。

「でも、顔とか声じゃないよ」

泉ピン子が出た時点でいかなるフォローも無意味なのだ。ご自身だって
キャシーベイツの男版でございますわ、と思う。彼によると、酒の席で女性社員を
いじめていた酔っ払いを執拗に攻めさいなむ私の口調が、そのままピンコ・イズミだ
という。ここでうかつにも他の同僚が口を挟んだ。

「そうそう、もう本当に逃げ場がないところまで追い込む感じ」

今度はそちらにビームが飛んで、あたふたと口ごもる同僚。同意する意見はあっても、
否定擁護がない今、私が怒り狂った時の口調は、やはりピンコ・イズミなのだ。

現実はいつも厳しい。


セレナーデ
早めに会社を出ると、日没が遠のいていることに驚く。

夕暮れの街を駆け抜けて、発車間際の電車に滑り込んだ。車窓から見える外の景色は薄紅に
染まり、初夏とも梅雨ともつかぬ独特の季節感を醸し出す。

私の家に向けて車両が動き始め、心もとない高架橋の上をひた走る。

ほんの数十秒視界が開け、線路の両側に海が広がる。それはあたかも海の上を電車が
滑るように。

背景には都会の高層マンションが林立し、輝くメタルグレーのクリスタル。
海面に群れ飛ぶ夕暮れの魚影、ネオンを反射しながら車両は加速を続け、カンパネルラ
と共に星の海を駆け抜ける爽快感。

荘厳な大自然の美しさは、地球の愛情を放射する太陽の煌めき。
そして都会の風景は、硬質で無機質な夜を映し出す月の輝き。この街は、月と太陽が
織りなすエクリプス。

夜歩く。
私を乗せて、新月の京浜工業地帯を走る、満月の京葉工業地帯を走る。

単色のライトに照らし出された、夜の工場の装い。仄暗く誘蛾灯のように浮かび上がる
未来都市。規則正しく幾何学を描く構造物の間を縫うように、天高く螺旋階段が
のびる。それはブリューゲルのバベルの塔、儚げで横暴な風格を誇示ながら、
工場は今日も生きている。

冷たく輝くシルバーメタリックの世界に、凛凛と心躍る瞬間。

何度も重ねた夜のドライブ。

つい最近「工場萌え」という言葉を知るまで、こんな美意識は私だけが持つ奇矯な性癖
とひた隠し、誰にも話すことがなかった。

人工的な埋立地に広がる溶鉱炉のシルエットは、海に浮かぶモンサンミッシェル。
そんな眩惑の一時は誰にも譲れない。

電車は夜のとばりを、走る走る。

夕暮れから夜にかけての私的なときめき。


風水
昨夜、ぼんやりとテレビを見ていると芸能人のお宅の風水鑑定なるものをやっていた。

風水。一時はひとしきりはまった私も、最近はその存在さえ忘れていた。水周りには盛り塩。
鬼門や裏鬼門にも盛り塩、トイレやお風呂にも盛り塩。玄関にも盛り塩。結果、一時期
我が家は盛り塩だらけになっていた。

とくに玄関が鬼門にかかっていて、邪気がどんどん入ってくるなどと書いてあれば、それ
だけで気が滅入るもの。

帝都物語では、江戸が都市としての風水に裏打ちされた帝都で、鬼門、裏鬼門に鎮護の
お寺や神社を配し、国と民を守るという設定。実際、江戸城を中心に、小塚原処刑場は東北、
鈴ヶ森処刑場は南西に位置している。

余談ではあるが、この風水という言葉、最近では身を持ち崩した女性の2ちゃん用語でも
使われているらしい。

「私は風水を極めました。今はもっぱら風の方」

みたいな。水は水商売、風は風俗とのこと。

テレビの風水士が言う。

「特に東南は人間関係を表します」

ふうん、と、見るともなしに我が家の東南を見る。

ゴミ箱だ!

何と象徴的な配置だろう。私の人間関係はゴミ箱。確かに最近の私は人付き合いが極端に
悪い。勝手に引き篭もりを始めては、どんどんと内面に入っている。日常生活の現実と、
自分の内面生活の乖離が激しいことこの上ない。

こうしてブログ更新の頻度が上がれば上がるほど、私の現実逃避は激しいというバロ
メーターになっている。

「捨ててしまったわけでもないのだけど」

ふと考えれば、周りは気楽に付き合える外人しか残っていないような気もする。
ちなみにゴミ箱の横には、猫のお食事処。これが今の私の取り巻きということ。

今日帰ったら、ゴミ箱を移動してみよう。形から入る事で、原因不明の離人症が
改善されるかも知れない。



眠られぬ夜のために
その昔、荷物をまとめて海を渡ろうと思った時、何か本を持って行こうと考えた。

これといって愛読書のようなものもなかったのだけど、その時ふと手にとったのが、
カールヒルティの「眠られぬ夜のために」と、福沢諭吉の「学問のすゝめ」だった。

実際、イギリスに行ってから何度も読み返していたのは、ヒルティの方。

スイスの哲学者、法学者であり、政治家でもある彼は、数々の著書を著している。
大学生の頃、そのタイトルにひかれて何の気なしに読み始めた私は、そのタイトル
とは逆に眠ることができなくなってしまった。

それまで読んでいたエピクテトスやマルクスアウレリウスのストア哲学を、より
現実的に日々の生活に取り入れる術を教えてくれた一冊。全然ストイックでも
何でもない私だからこそ、彼らの思想に惹かれたのかも知れない。

エピクテトスは、ローマ皇帝ネロの時代の奴隷、片やマルクスアウレリウスは
ローマ皇帝。この二人をつなぐ一本の線が、ストア哲学。ここにキリスト教を
バックボーンとしたヒルティ独自の思想がプラスされて、奥深く醸造され、心打つ
言葉の数々が紡ぎ出されて行く。

宗教も哲学も日々の生活で実践されるレベルまで咀嚼されないと、決して本物
ではないと思ってしまう。そういった意味では、まず非常に個人的なものだと思うし、
人それぞれの想いや考えは決して強要されるべきものでもないと思う。

ただただ静かに、自分がそうしたい、こうありたいと望む方向へと流れていくのみ
である。

気持ちが萎えて海の底深く落ちて行く、そんな一人ぼっちの夜には、決まってこの
本を開いた。何がどれだけ自分のものになっているか、また、ここに展開されて
いるような生き方になっているか、私には分からない。

でも、求め続ける過程こそが何かを与えてくれる大切な体験になって行くのだと
信じていきていきたい。



浜矩子
撮りためておいた番組やドラマを週末に整理していると、エコノミストの浜矩子氏が
出てきた。

怖い。

先日、ニュースステーションに出ていた時もそうだったが、持論を一切曲げない頑なな
姿勢を貫いている。

アベノミクスは幻想で、こんなブームに踊らされて有り金をはたくのはアホノミクスだと
いう。確かに、彼女のいうことには一理あるように思う。ここまで長く続いてきた不況や
デフレが、まるで森の魔法使いの杖の一振りでバラ色になるとも思えないもの。

でも、経済、特に株は、本来そういうムードで動くものだと思うのだけど。

今は、あらかじめ設定しておくと、ある程度の株価の振れ幅でPCが勝手に株を売りに
出したり、買いに走ったりしてくれるらしい。その連動で次々と売り買いが連鎖していくと
いう。

ひとしきり世間をにぎわせたヘッジファンドや仕手株など、素人が手も足も出ない
ノウハウや資金源をバックにしたファクターが複雑に絡む中、オンラインの発達も伴って
株価が勝手に乱高下。そもそも実態経済とは離れたところで動くのが株なのだとすれば、
今のムード先行の活況も、好ましい将来に向けた「雰囲気」として考えればいいのだと
思う。

ただ、中国や韓国経済の疲弊の影で暗躍する外資系ファンドの噂が絶えない中、日本も
そのターゲットにならなければいいと思う今日この頃。

それにしても浜矩子。

一橋大学から三菱総合研究所と経済畑のエリートコースを突き進んできた彼女。今、彼女が
マスコミの寵児になったのは、この分野の実績ばかりではないと思う。見た目がとても「テレ
ビ的」なのだ。大蛇アナコンダさえ捕食するという、アマゾン川流域に生息する獰猛な淡水魚
の顔をもつ女。

株価急落で、それ見たことか的に彼女がクローズアップされている。反面、ちょっとインター
ネットをのぞくと、すでに紫BBA呼ばわりされていて切ない。以前[1ドル50円時代が来る]
と言っていた揚げ足をとられ、良くも悪くも注目される人なのだと思う。それにしても、

浜矩子、井脇ノブ子、石井ふく子、内館牧子、林真理子、田嶋 陽子.....

日本人のインテリ女性はどうしてこんなことになってしまうのだろう。


トカゲ出てきた!
「夜の訪問者」「空を見上げて」で登場したトカゲが出てきました!

今朝、出勤しようと玄関に行くと、こちらを向いてじっと踏ん張っている人がいた。
一週間ぶりに見る彼は、体の幅が半分ぐらいに痩せてしまっていた。「生きてる?」と、
聞いてみる。身動き一つしない。

でも、その目は確かにこちらを見つめている。

傘の先でツンツンしてみる。

するとゆっくりと方向転換をしてドアの方を向いた。確かに生きている!

一週間前に私の目の前から逃げ出した時の素早い身のこなしはないものの、少なくとも
生きて姿を見せてくれた。

先回りしてゆっくりとドアを開けると、傘の先で誘導する。
ノロノロと体をくねらせてドアに向かうトカゲ君。その途上で、体にまとわりついて
いた埃は落ちて、綺麗な体になった。

ドアを出てガレージに向かう。でも、そちらに行ったら、鳥のエサになって
しまう。おそらく彼が住んでいたと思われるモッコウバラとアイビーが生い茂る
方向に誘導する。

するとそれまでノロノロとしか歩けなかった彼が、アイビーを目前に走る、走る。

サラサラと嬉しそうに藪の中に帰っていった。

生きていてくれて本当によかった。これでまた体調を整えてバルコニーを訪れ、
空を見上げる元気な姿を見せて欲しい。

一日も早く元気になって。


フサコのこと
ボイトレ、マッサージといった土曜日のメニューをこなし、カフェテリアで夕食をとる。
一見、オシャレに聞こえるけど、いつも空いている席はここしかないというオチ。
そこに行き場のないお一人さまが座っているというだけのことである。

食事とデザートをフルで終え、これからどうしようかとぼんやりとする。そういえば、
先週の土曜日は休日出勤だったし、昨日は宴会だったし、うちに帰って猫と一緒に
寝ようかな、などと考える。

すると、カフェの前を通り過ぎる家族連れ。ベビーカーから小さな小さな靴が、片方だけ
こぼれ落ちる。目ざとく見つけたお姉ちゃんが性別不明の下の子に靴を履かせてあげている。

これを見た私の想いが飛躍を始めた。シリアの子供達は今どうしているのだろう?
国と国との利害の狭間で、どこの国も手を出せない。国連ははなから機能していないし、
制裁決議はいつも通り中国とロシアの反対で通らない。そして、ロシアが武器を売り、
生物兵器使用のニュースにつながる。

私は何もできない、何もできない。

いま目の前にいる可愛らしい子供達と、シリアの子供達の違いは一体何なのだろう。
ミサイルや砲弾が乱れ飛ぶ日々の中、一体どれほど怖い思いをしているのだろう。

これは別にシリアに限ったことではない。

お隣のとある国では、いまだに子供が人身売買の対象だし、臓器売買やSEX産業など、
聞くだけで気が狂いそうになる現実がそこにある。

少なくとも、子供だけは守れないか。

人間の尊厳を考える時、ふとフサコのことを思い出す。イギリスにいた頃、たま
たま私が借りていたフラットの下の階に住んでいて友達になった。

彼女とは出会った瞬間から深い部分の話ができて、しかもお互いの理解力には
ズバ抜けたものがあった。その日もBBCを見ながら、一人ひとりがもって生まれた
意義って何だろうね、などと話していた。

その時テレビに映し出されたものは、病で余命いくばくとない子供が、
チャリティーで訪れてくれた女性に向かい、一生懸命に起き上がろうとする姿。
自分の命が今消え去ろうとしているこの時に、この子はこの女性に神様のご加護が
ありますように、とお祈りしていたのだ。
フサコに向かって問いかける私、

「この世に生まれて5年で死んで行くこの子の人生の意義は?」

え、何、当然のこと聞いてるの?と言わんばかりの顔で私を見つめると、

「今、3分だけでもテレビに出ているじゃない」

そうね、と理解した。この小さな命は、これからいなくなってしまうことが
分かっていても、誰を恨むわけでもなく、泣き叫ぶ訳でもなく、自分のもとを訪れて
くれた目の前の女性に、精一杯のメッセージを返している。

そしてその荘厳な生き様を、テレビという媒体を通して多くの人に視聴されている。
勿論、受け取る側の感覚はそれぞれでも、きっと深くて強烈な何かを人々の心に
残したに違いない。事実、おそらくもうこの世にはいないであろうこの子の事を、
地球の裏側で、今も私が思い出しているのだもの。深い深い反省の気持ちと一緒に。

忘れてはいけない、と思う。

目の前の幸せな日本の子供達を見つめながら、世界の子ども達に想いを馳せた。

フサコとは音信不通。私の人生に大きな影響を与えた人々は、必要なタイミングで
出会い、そしてお互いが何かを学ぶと極端な形で目の前から消えて行く。

アルゼンチンに行ってしまったり、行方不明になったり。

寂しいけど、きっとそれでいいのかも知れない。でもフサコとはどこかでまた
再会を果たす気がしてならない。きっと今この瞬間に、彼女も私を思い出している
に違いないのだから。




後ろから前から
本日は例の宴会日だった。宴会幹事を無事終えた私は、二次会に出ることもなく
家路についた。

宴会自体はこともなくスムーズに運んだ。それはそれで幹事としてはよかったと
思う。にもかかわらず、この疲労感は何なのだろう。重い足を引きずりながら駅への
道すがら、今日の宴会風景を思い返す。

いよいよ宴会開始。会場の席は決まっていない。店の内装はちょっとクラシックな
イタリアの田舎風テイストで、おとしたライトの光が柔らかな温かみを演出している。
しかし禁煙席と喫煙席は全面ガラス張りの壁で仕切られていて、そこだけモダンな
雰囲気を醸し出す不思議な空間。

お店の外にはゲストの案内役として、子分のフランス人の同僚を店の外に張り
付かせ、私は店内でスタンバイした。

私の席は、幹事席。お店の人との打ち合わせや、お会計等、実務の取り仕切りに
便利な端っこの貧乏コーナー。さらにこのテーブルには司会役の部長と、本日の
出席者で一番偉い人。そして、どのテーブルからも弾き飛ばされた変わり者が集まり、
一種異様な雰囲気を醸し出す。昔見た「ドクターモローの島」。動物実験で、人間と
動物を掛け合わせた化け物の住む島の物語を思い出す。一切の色味を欠いた地味な
この一角は、ほんのりと加齢臭に包まれて、これから展開する2時間の行く末を
容易に想像できるセッティングになっていた。

姥捨て状態の私のテーブルを遠巻きに見つめる同僚たちの目。そこには、憐憫の情と
ともに、私の境遇を少しだけ楽しんでいるビッチな一瞥も見て取れた。

「あの、おしぼりとつまようじはありませんのでご了承ください」

あらかじめ防御線を張っておく。次々と運ばれる大皿に盛られた料理を小皿にとり
わけ、ビールをつぎまくる。こんなことは一切苦ではない。いくらでもついで差し
上げようではないか。

私がつらいのは、その場を凍り付かせるおやじギャグ。偶然にもこのテーブルには
各部からオヤジギャグの大家が集い、先を競って言い放っている。そして、それを
聞いてあげる人が、残念ながらこのテーブルにはいなかった。 

「本当は焼き肉食べたかったな、焼き肉じゅうじゅう」
「むくはとじゅう」
「ずうとるびの山田君一枚」
「・・・・」

まれにみるクオリティの低さだ。さらに、酔っ払いオヤジ特有の自己中モードが
炸裂し、もはや全員が同時にバラバラのギャグを連発し始め、誰も聞いちゃいない。
いつもは作り笑いで相槌をうってくれるおばさんや、うぶな新入OLの代わりに今日、
隣に座っているのはこの私である。それがいたく不満らしいのだ。

そんな気持ちはこちらも察知する。「お互い様じゃっ!」半ば投げやりに岡っ引き
みたいになった私の目から、またあの威嚇ビームが発射されていたらしい。そんな
私を和ませようとしたのか、一人のオヤジが甘えた声で私に言う。

「ねえねえ、むくはとじゅう」

「・・・・・・」

まだ言っている。私に一体何を期待しているのだろう。まさか、焼き肉じゅうじゅう?
もはや疲労で怒りの限界に達していた私に向かって、別のオヤジがたたみかける。

「いつ言うの」

すると残りのオヤジが一斉に、

「今でしょっ!」

オヤジたちの大爆笑を横目に、遠い目をする私を俯瞰する自分がいた。きっと
十勝花子みたいな顔になっていたと思う。楽しそうに笑う彼方のテーブルでは、いつも
のイケメン狙いのおばさんが、今日も別の男の子にしなだれかかっている。

会は無事終了し、店の出口で皆の忘れ物をチェックしていると、溶けたように酔っぱらっ
たオヤジたちは、すでに別の生き物に見えた。私の手をとり、二次会に行こうという。
このまま拉致されたら、きっとまたデュエットで「カナダからの手紙」とか歌わされて、
その後、オヤジの歌う「後ろから前から」を聞かされるのだ。この流れは決まっている。

清純派アイドルとして、恩師平尾昌晃氏とデュエットでデビューした畑中葉子は、
その後、あっという間にポルノ女優になってしまった。そのポルノ映画へのタイアップ
挿入歌が「後ろから前から」。ちなみに第二弾は「もっと動いて」。

清純派がポルノ女優という顛末が、オヤジたちにはいたくショックだったらしく、カラ
オケにいくと決まってデュエットをさせられる。でも、さすがにソロになってからの
日活ロマンポルノ挿入歌は私でも歌えない。

オヤジに囲まれ、マイムマイム攻撃をうける私の窮地を救ったのは外人の同僚たち。
オヤジはなぜか外人に弱かった。嵐のようにやってきて私の手をとると、そのまま
店の外に連れ出してくれた。持つべきものは友である。これで今夜の畑中葉子はなく
なった。

同僚たちとの二次会も断り、先ほど家にたどり着いた。今日は自分へのご褒美に、
これから夜中のケーキを解禁することにした。おやすみなさい。

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