猫と海辺に暮らす翻訳コーディネーターの阿鼻叫喚な日々を綴る日記。

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宴会の幹事
私が幹事をしている宴会がいよいよ今週末にやってくる。

同部署総勢50名、季節外れのイミフ宴会が会社定時後から2時間も開催される。
なぜ私が誰もが嫌がる幹事になってしまったのだろう。

そもそも私は宴会が大嫌い。会社の飲み会が好きだ、などという人もそんなにいないと
は思うけど、まず私はお酒もたばこもしない。食事は限りなくベジタリアンに近く、魚も生は
無理だったりする。すべて、個人的な好き嫌いと言われてしまえばそれまでだけど、日本の
悪しき習慣の「飲みにケーション」みたいなのが大の苦手。しかも酔った勢いにかこつけて、
ここぞとばかりに波動砲を放ちまくる小心者をみると、首に重石くくりつけて、印旛沼あたり
に沈めたくなる。

しかも宴会はなぜ靴を脱いで、小上がりのお座敷に横座り?お酒が進むと愚痴とぼやきと
たばこの量がふえる。顔に脂が出始めて、髪はボサボサ。洋服はたばこの臭いが染み付く
上に、1日靴の中で蒸れ蒸れになった他人の靴下の臭いが阿鼻叫喚。こんな環境で
ひたすら終了時間を待ち続け、ウーロン茶1杯で5,000円の会費が私のデフォである。

少しずつ日頃のタガが外れ始めると、今度は、ストレスの多い中堅社員から若手男性
社員いじりが始まる。こういう輩が許せない私は、同僚に言わせると目からビームを発し
始めるという。どうしてお酒の席で、弱者を晒し者にしなければいけないのだ?蛇女
ゴーゴンではないが、あまりにくどい若手へのパワハラが始まると、私の無言の威嚇が
始まるらしい。

私自身はビームにも威嚇にも気づいていないし、それがまた怖い。

こうして若手いじりが終わると、今度は女性社員へのセクハラが来る。若い女の子に
チヤホヤぐらいなら、本人もまんざらではなさそうなので許す。ただ、もともと地味で、
仕事を一生懸命に頑張っている三十路女性社員をいたぶるのは許せない。やれ目の下に
クマができているとか、部屋ではジャージ着てるんだろう、とか、もっと愛想よくした方
がいいよなどなど。言われるがままに涙目になっている彼女をこれ以上傷つけることは、
このベラが許さない、喧嘩上等じゃっ。

ここまでくると、さっきのビームぐらいでは済まない。おもむろにビール瓶を持つと、
お酌をするフリをして女性といじめ男の間に入り、私の毒舌が炸裂するらしい。
同僚に言わせると、何か見てはいけないものをみている感じで、思わず目をそらす
とのこと。一体何をいっているのかちっとも要領を得ない。

セクハラは何も男から女とは限らないの。イケメン男性社員にしなだれかかる40女は
家庭もち。「あら、あたし酔っちゃったみたい」とは、いつものセリフ。安っぽい合コン
とでも勘違いしているのか、お団子に結った髪にありえない肉のつきかたをしたデコルテを
ここぞとばかりにさらけ出して、熱い吐息をイケメンにフーッて。私にはドリフのコント
にしか見えない。

何か、こういう乱れ方が一番痛い。

「ねぇ◯◯君、恋人はいるの?結婚はしないの?」

キモイ...おもむろに座布団を集めると、彼女の横に敷き詰め、枕までつくる私。その
座布団をバンバン叩いて、

「お疲れのようなのでお布団敷きましたよ、どうぞどうぞ」

周囲が一瞬にして凍り付く。その日以来、彼女は口をきいてくれなくなった。

こんなことばかりだと、宴会に行きたくなくなるでしょ?お料理も、やれホルモン
だ、もつ鍋だ、コイのあらいだ、と魚の生首や牛の臓器が次々とならべられて、
本当に阿鼻叫喚。

今回は、しばらく宴会に出ていない私に対して、一部の人々からリクエストが
かかったらしい。酔ったふりをして乱れる輩をバッサバッサとなぎ倒す私への支持
が高まり、どうにかして宴会に引っ張り出そうという話になった、とは同僚の弁。

部長に呼び出された私はめでたく幹事の任を任されることになった。つまり、幹事に
してしまえば出ざるを得ないという部長の罠で外堀から埋められてしまったのだ。

「ちょっと幹事さん、今回もまた◯◯でビール飲み放題だよね」

そんなわけはない。幹事を任命されるやいなや数件のイタリア料理のレストランを
ピックアップし、コースと料理を決める。お酒は第3のビールにして、その代わりに
デザートを充実して2種類にしてもらう。お酒はビール以外にグラスワインとソフト
ドリンクのバリエーションも増やしてもらう。そもそもイタリアンに焼酎などないの
だ。参加費用も会社からの補助とクーポンの利用でいつもより格段と安くあがって
いる。女性が多く、外人もたくさんいるのに、少しでも多くの人が楽しまなくちゃ
つまらないでしょ。

一次会は最大公約数。飲んだくれたい人は自腹で勝手に二次会へどうぞ、という
スタンス。

今日はお店に寄って、当日渡すフラワーアレンジメントの予約もしてきたので、
いよいよおしまいに近づきつつある。

ちなみに同じ酔っ払いでも、静かにほほ笑みながら自分のペースで楽しいお酒を
たしなむ人は、老若男女をとわず本当に素敵。お酒は本能をさらけ出す境界
にある分、その飲み方には最高位の品位が求められるものだと思う。

間違っても人にからんだり、酒に飲まれて路上に転がったりしてはいけない。

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空を見上げて
そして朝の電車の中。

昨夜のトカゲ事件で、怖くて眠れないようなどと。ひとしきり部屋を見回して床に
ついた私は、ものの5分で爆睡していた。

実はあのトカゲ、以前から顔なじみだった。

夏の暑い日、バルコニーから何気なく庭を見ていると、シュルシュルとブロック上
を走る小さな影。よく目を凝らすとトカゲが空を見上げていた。

片手をサッと挙げては、もう一方の手に切り替える。どうやらブロックが日光に
熱せられて熱いらしい。ひとしきり右手、左手を繰り返した後、カラスの影に
怯えて何処かに行ってしまった。

次に彼を見かけたのは雨の日の庭。ペチュニアを植えたハンギングバスケット
の下で、1人雨宿りをしていた。顔に落ちる雨粒を見るからに不便そうな手で
拭きながら、この日も空を見ていた。

それ以来、夜にカーテンを開けると、ガラス窓に張り付いては、窓明かりに
寄ってくる小さな昆虫を舌で絡め取っては食べていた。

どこか他人とは思えなくなっていたトカゲ。

以前、「家の庭」で書いた通り、ここにはムクドリ級のトリもやってくるので、
結構危険が伴うのだ。彼がいつも空を見上げていたのは、哀愁を帯びて遠い目を
していたのではなく、ただ必要に迫られて鳥を警戒していたのかも知れない。

一旦、情がうつると、別れはいつも悲しい。

またいつか元気な姿で、彼が空を見上げている勇姿を見てみたい、と切ない
想いで待っている。





夜の訪問者
先日「家の庭」で書いたモッコウバラ。

今日家に帰ってふと庭先を見ると、いつの間にやらジャングル状態になっていて、
お隣のガレージまで伸び伸びになっていた。

これではお隣の車に傷がついてしまうと思い、今しがたハサミをもって枝を剪定して
きた。夜の闇にまぎれて一本また一本。

ようやく、当面邪魔になりそうな部分だけを刈り終えて部屋に戻る。
さてみんなのブログをチェックしよう、などとPCを開くと、私の背中で猫がドタバタと
はしゃいでいる。
ああ、うるさいと思って後ろを振り向くと....すでにしっぽが半分ない10センチほどの
トカゲが体をくねくねさせて猫の手の下敷きになっている!

急いで救助しなければ、とリビングのバルコニーを開け、外に逃がそうと振り向くと、
すでにその姿はなかった。押さえていたはずの猫もきょとんとしている。
きっとあのモッコウバラのジャングルに住み着いていたトカゲが、そっと私の肩に
乗り移って一緒に家の中に入ってきたに違いない、うぅぅぅ...

部屋じゅう探してみたけど、もはやどこにいったのかわからない。

あのトカゲが家の中にいると思うといてもたってもいられないのだ。半年ほどして
干からびた死体となって発見されるか、猫の餌食となって内蔵が飛び出て死んでいるか。
夜中に (私はリビングに隣接した1階の和室で寝ている) 顔の上をはってきたら
どうしよう。まさか、壁の中に卵など産まないだろうかなどと、まさに阿鼻叫喚。

どうしよう、怖くて眠れない....

家の猫は本能が壊れていて、もはや夜行性ではない。私と一緒に毎晩12時には床につく。
また、小さなクモをみつけても、首をかしげてみている。よもや、トカゲが出てきても、
殺してしまうことはないと思うけど。

とりあえず窓を開けなければ、外に通じる道はない。ということは、この部屋に密閉され
たままの状態。猫の餌を食料に生き延びるだろうか、いや、トカゲが猫の餌を食べるわけが
ない。それでは、猫のトイレで餌をさがす?ぺたぺたの手で、天井に張り付いていたら
どうしよう。まさか途切れたしっぽが部屋のどこかに転がっていないだろうか。それとも、
バラを切った時に私が一緒にパッチンした?本当に、生きていても死んでいても恐ろしい。
害はないとは思うけど、爬虫類との添い寝だけは是非とも避けたい。よきにつけ悪しき
につけ(実際よきにつけはないけど)、私の妄想癖が全開でフル回転している。

そして頼みの綱の猫は3匹ともすでに爆睡している。たまには、飼い主を助けい!

トカゲこわいよぉ...


日本語を真ん中に
土曜日の休日出勤。定時を過ぎるやPCをおとし、その足でエレベーターに乗る。
どうやら今週の休日出勤はうちの部署だけのようで、そのまま止まることなく一階へと
到着した。

エントランスでは、先に出ていたはずのアメリカ人とフランス人の同僚が私を
待ってくれていた。

連れ立ってビルの外に出るや、アメリカ人の方が、

「これは雲行きが怪しいね。」

という。それまで皆、英語を使っていたのに、急に日本語にシフトしてきた。
するとすぐにフランス人の方がその意味を問い返す。2人とも二十代で、共に日本が好きで
この国にやって来た。どちらかといえばフランス人の方がスピーキングも読み書きも
達者なのだけど、このフレーズは知らなかった模様。

ここぞとばかりにドヤ顔になったアメリカ人は、これから天気が悪くなりそうだ、という
意味に加えて、もっと抽象的な意味として状況が危うくなっていくニュアンスもあることを
得意気に話している。

どうも外人が日本語で日本語の意味を語り合っている画が微笑ましくて、つい笑って
しまった。

そして遠い昔、自分も同じように英語の先生の後に付いて回っては、「wouldとcouldと
mayとmightとshouldのニュアンスの違いを教えてください」などと言ってウザがられて
いた事を生ぬるく思い出した。

私がイギリスに憧れていたのと同じ感覚で、彼らは日本に来てくれている。言葉が
できるとは言っても、かつての私がそうであったように、異国の地で何かと不安が
あることも知っている。同僚として、友人として、できる限りのサポートをしてあげたいと
思う。そしていいことも、悪いことも含め日本を知って、それでも好きでいてくれたら
いいな、と感じている。

彼らの言葉に対する情熱に触発されて、私ももっと頑張らなくてはと思ってしまう。
忙しいというのは口実口実。この機会に是非フランス語を上達させたいと思う。


新たな出会い
昨日の休日出勤を取り戻すべく寝だめを決め込んでいたにも関わらず、朝から
私の顔をピカピカになるまでなめる人がいる。そして一人去り、次は別の誰かが、シャク
シャクと髪の毛を噛んでいる。朝、鏡をのぞいて身に覚えのない皮膚のあかぎれなど
があれば、それは猫なりの愛情表現の結果。寝ている本人には伝わることのない猫の
一方的な愛情表現で、私の顔も髪も朝からボロボロである。

最初の二人を無視して寝たふりを続けていると、ものすごい怒声で鳴き叫ぶオス猫の
ヒステリーにとどめを刺され、とうとう飛び起きるはめになった。クリスマスキャロル
では、守銭奴と化したスクルージを改心させるため、三人の幽霊が訪れたけど、私の朝は
幽霊の代わりに飼い主の関心を引きたい三匹の猫の訪問で幕をあける。

休みの日くらいゆっくり寝かせて、というどこかで聞いたセリフ。世のパパたちは、
朝から子供たちの無慈悲なパンチやキックの応酬を受けて目覚めているのね。

部屋の掃除を済ませ、早く目を覚まさせてくれた猫たちにお礼のおやつをあげる。
「これから出かけるから喧嘩をしないで」などと、7匹の子ヤギのママのようなことを
言ってみるが、誰一人聞いちゃいない。どうせ私が外に出るやいなや、いつもの大運動
会を始めるのはわかっている。

ボイトレとカラオケを合計4時間程行い、そのままマッサージに行く。その後、イタリ
アンのお店に入る。食後、コメントを寄せていただいたセキグチさんからのご紹介URL等
をチェックし、早速お財布の中身と相談を始める。

私は、Twitter も Facebook もしていない。ネット空間での交流はこのブログだけ。
別に他の媒体がどうのという訳でもなく、ただ、ブログのスタイルが私に合ってい
る感じがする。そのブログを通じて今、少しずつ交流が始まっている現実にドキドキ
している。私には誰かに話したいことがたくさんあって、でも、顔見知りには
距離感の関係から言えないこともある。Facebook はダダ漏れ感があるし、Twitter
はあまりにも展開が早くてついていけない。どうして皆、思いつくままに全てを
そのまま発信できてしまうのだろう、と、半ば驚きの気持ちで見ている。
私には無理だ。

私のブログに来ていただいている人たちは、日本各地に散らばり、それぞれ年齢や
家族構成も様々に個性的なブログを書いていらっしゃる。もしかしたら電車ですれ
違っているかもしれない人たち。表面上は他人で話したこともない人たちが、今、
どんな本を読んで、どんな音楽を聴いて、そして、どんなことを考えているかを知る
ことのできるバーチャルな空間。ノンフィクションであり、フィクションもある
一つの作品を、それぞれがそれぞれのペースで織り上げていく。

現実生活でこれほどバラエティーに富んだ人間関係をもつことは、残念ながら
不可能に近いもの。いろいろな方の想いをふれることができるこのブログが今、
私にとってとても大切なものになってきている。

休日に作るペペロンチーノの味を追求するパパさんの日常を切り取ったブログや、
アーティストの彫刻やスケッチ、猫ブログや文学批評、仏教、哲学、ファッション
からオタクまで。人のブログに遊びにいくことがこんなに楽しいものになるとは
思ってもみなかった。

人間て本当に興味深い。


希望の光
ラファエロ展の帰り道、私はアメ横を歩いてみた。

上野で絵を見た帰りに必ず立ち寄るお店がある。食事をするため御徒町方面に
向かってアメ横を進む。威勢のいい掛け声とともに売られている生臭い
生鮮食料品や干物の数々。いつ来ても下町の市場の賑わいが感じられる、どこか
懐かしいスナップ写真のような街。

つい数分前まで中世ヨーロッパの空間を逍遥していた私は、美術館帰りのアメ横
でいつも現実に引き戻される。上野のこのギャップが本当にたまらない。

平日のアメ横は外国人の姿が多い。ここは勿論東京観光の名所に入っていて、私の
仕事でもガイドの翻訳には必ずリストアップされているホットスポット。特に、
今は円安の影響なのか、アジアな感じの人々が多かった。ジャラジャラとうるさい
ゲームセンターの前ではタイ人の男性がカメラに向かって何やらリポートをして
いる。耳に入ってくる中国語の方に目をやると品のいいカップルが通りの賑わいを
カメラにおさめている。タガログ語を話す一団は割り箸にささったフルーツを食べ
ながら、盛んに何かを議論していた。

今回も御多分にもれずいつものドナに立ち寄り、ジェノベーゼを頼む私。ここの
ウエイトレスさんは本当に感じがよくて、サービスもプロフェッショナル。
ついついそれを口実に追加オーダーをしてしまう。惜しむらくはたばこのにおいが
ボヨヨンと流れてくること。完全分煙ではないのが悲しい。

もれなくつけたデザートを平らげ、絵画と食欲という欲求をフルに満たした私は、
さて御徒町まであるくべきか、上野にもどろうかしばし試案の末、上野駅方面
に歩を進める。

そのガード下にたたずむ3人組の若者。信号待ちをする私の横で、募金を訴えかけて
いる。プラカードには東北の震災で飼い主と離れ離れになったペットを収容して
世話をしている様子が描かれていた。

私はよく何にでも募金をして、後々友人から「それは詐欺だよ」と告げられ、心
傷つくことしばしば。最近はちょっと疑心暗鬼で、この時も最初は胡散くさいのか
しらとばかりにジロリンと見ていたと思う。でも、素朴なボランティアさんたちの
声を聴いていると、あながち嘘とも思えず、たかが信号待ちの十数秒の間に募金
をしている私がいた。

震災の映像で、ずぶ濡れになって震える猫の姿を見た。家族と離れ、死にそうに
なっている一頭の犬に寄り添う、もう一匹の犬を見た。殺すにはしのびないと
野に放たれた乳牛の群れを見た。

そして私は、それを忘れていた。

今さっきまで絵を見ていたこと、目いっぱい食事を楽しんだことに自責の念を
感じながら、募金と引き換えにいただいた1枚のチラシを開く。そこには、
あの悲しい目をした犬たちの写真や、このNPOが行う活動内容が書かれて
いた。

「ごめんなさい」と、つぶやく。

先日の「盲導犬」でも書いた通り、すでに毎月2件のNPOに引き落としの募金を
している私は、盲導犬育成への新規募金を考えていた。はからずも今日、その盲
導犬の活動をPRするためのイベントをニュースでみたばかり。そして、今、
さらにこのNPOへの募金も考えている...

年間数億円の収入がありながら生活保護を不正受給する外国籍の女、老人を
騙して虎の子の全財産を巻き上げる人格破綻者たち、払ってもいない年金をせしめ
ようという日本人でさえない人々。何か本当に許せないことがまかり通る一方で、
東北の人々を救う名目で計上された予算は、民主党の嘘で被災者に渡ることは
なかったという事実。そして、そのすき間を埋めるように、全国の善意の人たち
が戦っている。

ジェノベーゼにデザートまでつけた私が言えることでもないけど...

被災地の人たちは2年も経つのにいまだ仮設住宅住まいで、ペットどころでは
ない現実。もし自分の身に降りかかったら相手が自然災害だけに、怒りの矛先を
ぶつける場所さえない堂々巡りや、鬱積した怒りとで頭がおかしくなりそう。

国や行政からこぼれた、こうした小さな、でも、絶対に必要な活動はどうしたら
より多くの人に知ってもらえるのだろう。乳がん治療で髪の毛が抜けてしまった
女性にウィッグのプレゼントや、こうした震災後のペット問題など、きめ細や
かなやさしさをもつ人たちに敬服するとともに、心からエールを送りたい。

NPO法人の収支報告書、その1つの科目に目がとまる。

「ゴーヤのカーテン」費。

プレハブは、きっと暑いのね。


人類滅亡の預言
今日は、素敵な休日出勤。いつもならまだベッドの中の時間帯に、電車の中で
これを書いている。

昨日のラファエロ展の余韻いまだ冷めやらず、数点の印象深い残った絵が心を
よぎる。実はラファエロ以前の稚拙なフレスコ画や、ギリシャ正教のイコンなども
大好き。暗黒の時代と言われる中世ヨーロッパ。森には魔女がいて、色々な魔物が
跳梁跋扈する魔法の時代。ヒューマニズム以前の、それでもリベラルなルネッサンス
に向けて大きく時代が動こうとしていたこの時代に、強く心惹かれる。

昨日、ブログで少し触れたエゼキエルは、ユダヤ人の預言者で、旧約聖書の黙示録にも
登場する人物。彼の預言は恐ろしく、世紀末を迎える頃にはよく人類滅亡のしるしと
して取り上げられていた。

昨年のマヤ暦やノストラダムス同様、こういうインパクトの強いメッセージは、
いつの時代も人の心を惑わせて素敵。

特に、エゼキエルはユダヤ人に警告を発していたにもかかわらず無視され、その後、
彼の予言通りにユダヤの国々は包囲され、バビロン捕囚やエジプト等、その後千年以上
に渡ってユダヤ人が国を追われる大きなターニングポイントになった時代。

実際、彼の預言があたったものの、時すでに遅し。

そんな彼が幻視したというのだから、世の人々へのインパクトたるや相当な
ものだったのではないかしら。

「彼が見た幻の、4つの生き物、4つの回転する車輪は、ただ天において霊的に
あるケルビム(御使い)の姿であるのみならず、地上にあってイスラエルを
支配することになる4つの大国を示している。そのケルビムは、各々に獅子の
顔・人間の顔・牛もしくはケルビムの顔・鷲の顔を持っており、各々にその正面
に見える顔が異なる。エゼキエルが見た時点で、第1の顔は牛もしくはケルビム、
第2の顔は人間、第3の顔は獅子、第4の顔は鷲であった。」

この状態を描いたのが、ラファエロのエゼキエル。なんとも不思議な絵なのだけど、
世のトンデモ本では、この乗り物が実はUFOで、宇宙人の襲来をも意味するなどと、
勝手なお話しで面白い。また、占星術の世界ではこの4つの生き物を牡牛座、蠍座、
獅子座、水瓶座になぞらえていて、世紀末に形成されたグランドクラスを指すもの
だと大騒ぎ。この4つの星座に主要惑星が集中して、地球に物凄い緊張と障害を
与えるとされていたの。

そんな中でふと思うのは、今の人類の歴史を考える時、そこかしこに顔を出す
ユダヤの民は、色々な意味で目の離せない人々だなということ。昨日のブログに
登場したシャガールや大好きなSlava、世界金融の重鎮やスピルバーグから、
アインシュタインまで。どの分野にも満遍なく、その第一線にはユダヤ人がいる。
こんな当たり前の事実に、心からドキドキしてしまう。

もう一人の謎多き人、ダビンチの展覧会にも行こう…



ラファエロ展
今日は午前中で半休をとり、美術館に足を運んだ。こう書くと働くOLの風上にも
置けないと言われそうだけど、実は明日、仕事の都合で出社を余儀なくされ、それ
ならばと、急遽半休をいただいた。勿論、絵画展に行くとは言っていないけど。

大好きな絵画鑑賞は、やはり平日がいい。どうしても見たい展覧会はこうして半休
やフレックスを使って楽しんでいる。今、学生さんで就職したら自由がないなど
と不安に思っている人たち。与えられた権利の中でうまく時間を使うと、いろいろ
なことができるんです。サラリーマンも悪くないわよ。

空いている平日にも多少弱点はあって、我慢しなければならない雑音もある。
例えば、声のボリュームをセーブできない、ベレー帽をかぶったご老人のウンチク
や、おばさん同士のななめ上な感想語りなどなど。これさえ我慢すれば、空いた
館内で好きな絵を好きなだけ鑑賞できる。

特に私の見方は独特で、あっちいったりこっちきたり、順路を無視して好きな
絵に飛んでいくかと思うと、お気に入りを見つけるやそこから動けなくなる
習性がある。そのため、休日の混雑の中、ガイドのヘッドフォンをつけた群衆の
列が牛歩する事態になると、ものすごいストレスで絵を見るどころではなくなって
しまう。

いつもなら許せるおばさんたちのトンチンカンな会話も沸点が非常に低くなり、
頭の中で一斉攻撃が始まる。

「あれは空飛ぶ幽霊ね」
「首がまがって感じ悪いわね。やっぱり抽象画はよくわからないわ、ハッハァ」

「羊がバイオリン弾いてるわよ、ねえ」
「やだ奥さん、やぎでしょう」

マルクシャガールの「誕生日」と「孤独」をみた感想を大声で述べ合っているの
だけど、「誕生日」は、その日を祝うシャガールと恋人ベラとの心躍るワンシーンを
象徴的にあらわした感動的傑作。体が浮いているのは、心がうきうきしている
からよ。それにまず、抽象画じゃないし。

「孤独」の絵の中でバイオリンを前に座っているのは、羊でもやぎでもない牛です、
ウシ。これは牛が大切なのではなくて、ロシアを追われたユダヤ人のシャガールが
心に秘めたナチスへの不安を描いた作品。牛のモチーフは彼の絵にたびたび
登場するけど、この絵ではイスラエルを象徴しているといわれている。自分自身
を「牛です」と本人が言っているので、自分を投影しているのかも知れない。
いずれにしても結構ヘビーな背景のある絵。

声に出さなければどんな感想持ってもいいのよ。ちょっとそこのおばさん、おだまり!
ベラのムチは痛いよっ*1

話があらぬ方向へ...

今日は、閉幕前の駆け込みで「ラファエロ展」に行ってきたのだけど、いきなり
当日券売り場に行列でビックリ。まだ閉幕まで1週間以上あるし、平日だし、と油断
していたら大変なことになっていた。日本人て、絵が好きね。

感想としては、私の好きな絵があまりなくてちょっと寂しかった。ウエブで他の人
たちのコメントを見ると結構、高評価だったりするので、単に私の好みの問題
かと思う。案の定、「大公の聖母」の前は黒山の人だかりだったけど、私は
「エゼキエルの幻視」が見られただけで満足。聖書の幻視世界そのものだった。

勿論、今日もおばさんたちの会話は健在....

「えきぜーるって何かしらね」
「殺虫剤みたい、ブフフ」
「ルネッサンスにあるわけないわよ」
「あらグリフォン」
「奥さん、ご存じなの?グリ...」

不毛な会話は無限に続く。

ラファエロ、ミケランジェロとならぶダビンチ展が、近くの都美術館でやって
いたので、当初は梯子を考えていた。でも今日は、ラファエロの行列でダビンチを
あきらめてしまった。

こちらは閉幕までもう少しあるので、また近いうちに。

*1  このベラは勿論シャガールの嫁ではなく、妖怪の方
    ちなみにこれに関連してYahoo知恵袋に寄せられた質疑応答を紹介。
     「ベラのムチは痛いんですか???」
     「痛いですよ、、、」
     「本人がそう言ってるんですから、きっと痛いと思います・・・」。
    ベストアンサーは二つ目の答えです。日本ってつくづく....



メッセージ
早朝の丘の上。玄関を出ると、すでに太陽が燦燦と照り輝いている。
日が長くなったなどと、来月にはもう夏至を迎え、紅白を見ながら始めたこのブログの
更新もすでに60回を超えた。

年が開けて半年、恐ろしいまでの時の流れの早さ。

駅までの道なりに丘を下ると、どこかの開け放たれた窓からラジオ体操が聞こえる。
子供の頃の夏休みの恒例行事といればコレ。何で夏休みなのに早起き、と当時は
不満ブータレのタラタラでやっつけていた記憶が蘇る。

その後、中学、高校、大学と長じてもやっぱり朝は苦手だった。自分は生粋の
「夜の住人」で、朝霧の匂いや朝日の神々しさとは無縁のものと思っていた。
当時、たまに見かける早朝の老人たちの朝のテンションについていけず、
朝はご老人のタイムゾーンと勝手に思っていた私。

ところが最近、朝が気持ちいい。これは加齢のしるし?と複雑な切なさを感じながらも、
早朝の通勤を楽しんでいる。

そう考えると、あながち朝が嫌いでもなかった子供の頃の記憶が蘇り始めたから
不思議。母があける早朝の窓、そこから部屋に流れ込む、凛とした朝の空気。あさげ
の香りや庭の草花の匂い。キラキラと部屋にあふれる光の粒子さえ目に見えた
あの頃。何ら疑うことなく、私がこの世界に存在していてもいいんだよ、存在して
いるだけで価値があるのだよ、と聞こえていたあの頃。

心地よいまどろみから目覚めた朝は、毎日が綺麗で楽しかった。ユーミンの
「やさしさに包まれたなら」の歌詞のとおり、目に映るすべてのことがメッセージ
だった。

こんな気持ちになれるのなら、加齢もまた楽し。今の自分をそのまま受け入れ
られる、そんな不思議な朝でした。



海をこえて
朝の車窓から見える海と、そこに浮かぶ白い船。曇り空の港町を見ていると、ふと
イギリスにいた頃を思い出す。

以前住んでいたイギリスの港町は、目の前にイギリス海峡が広がる。イギリス国内では
南部にあるとはいえその緯度はかなり高く、冬になると北海から吹き付ける北風が、
荒涼とした北ヨーロッパの風景を作り上げる。そして、モノトーンの港には、いつも
たくさんの白い船が泊まっていた。

フランスに行く定期便や、ベルギーに渡る船。こんな小さな港でもれっきとした
国際港だ。イギリスの食事が辛かった私は、週末になるとこの白いフェリーに乗って
ベルギーに遊びに行くことが多かった。

フランス便は主に工業港行きであること、そして、私のフランス語がお粗末なため、
いつもベルギー便に乗っていた。勿論、ベルギーもフランス語が公用語なのだけど、国の
北部はフラマン語(オランダ語系)で英語が通じ、観光客が多いせいで外国人慣れ
していること。しかも、上客の日本人にはとてもフレンドリーで居心地がいい。

私がよく行っていた街は、ブリュージュ。教会を中心に中世の街並みが保存されていて、
すべてがコンパクトにまとまった可愛い街。窓に飾られた季節の花々、街を貫く運河と、
そこに浮かぶ小さな手漕ぎ舟。街の特産のレースが、カフェの窓辺を飾る。

船酔いにまみれてイギリス海峡を渡ってでも訪れる価値のある街。

教会に行ってステンドグラスを眺め、地元の子供たちの歌う聖歌を聴く。雑貨の店を
見つけながら、街を散策し、疲れたらカフェでお茶にする。そして、何よりこの日帰り
旅行で果たさなければならない目的は、美味しいベルギーの食事。新鮮な卵とほうれん草、
チーズをふんだんに使ったキッシュや、ムール貝のトマトソース煮、その他、イギリスでは
お目にかかれない「料理」の数々が私を魅了してやまない。

ひとしきり食べて、お土産のベルギーチョコを買うと、電車でオステンドに向かい、
そこからイギリス行きのフェリーに乗る。

ほんの小さな日帰り旅行でも、二つの国を行き来できるヨーロッパが羨ましい。
しかもこの距離にあって、十分に異なる個性を持ち合わせている。
基本、日本人のパスポートがあればフリーパスで行けるけど、それはEU内でも同じ。
この点に関しては日本人に生まれたことに心から感謝感謝。

ベルギー北部のフランダース地方には他にも見所がたくさん。大好きなジェームズ
アンソールの絵を見に行ったり、パトラッシュの面影をたどったり、そして何より人が
優しい。小さなカフェで日本語のメニューを見つけると、ちょっと感動したりする。

なんかまたベルギーでお茶したくなった。



鹿島神宮へ
最近は、少しだけ仕事が忙しい。夜帰宅してもそのままシャワーを浴びて寝て
しまうので、ブログの更新は、もっぱら朝の通勤電車の中。

この季節になると、水郷地帯にドライブしたくなる。

まずは、東京方面から高速にのって潮来を目指す。水郷と言われるだけ
あって、豊かな水に恵まれている。利根川を渡ったり、湖にかかる橋(北浦?)
を渡る時は、左右が湖のまさに水の道。風を切って水辺を走ると、
心の中に知らず知らずにたまっていた瑣末な想いの数々が一枚ずつはがされて
いく。

高速を降りると、一路鹿島神宮を目指す。最近はパワースポットとして
人気を集めているらしいこの神社。私はもう随分前から遊びに(不謹慎?)
行っている。

周囲から少し高い丘の上にあるこの神社はとても趣深い。
ご近所にある香取神宮と並んで、東国三社の一つに数えられ、共に武術の
神様らしい。あまりサッカーは詳しくないけど、鹿島アントラーズが強いのは、
この軍神とお何か関係があるのかしらん。アントラーは鹿の角の意味なので、
あながち無関係とも思えない。

境内には真っすぐに延びる一本の道。かなりの樹齢に見える杉の大木から
注ぐ木漏れ日につつまれて歩を進めると本当に清々しい気持ちになる。
天然の森林浴に加えて、何か目に見えない大きな力に包まれているような
心地よさ。

鹿のゲージを左手に見ながらさらに進むと、道は突き当たりで二つに分かれる。

右にいくと、そこには要石。この石は地震を鎮めるというありがたい石で、
昨今のパワースポットブームの火付け役なのかとも思う。確かに茨城県南部
は地震が多いものね。

花より団子派の私は、先程の突き当たりを左に降りて行くことが多い。

そこにはご神水の湧き出る泉があって、ご神事も行われているらしい。
泉のほとりには昔の茶屋風のお食事処があって、店の外では串団子を焼いて
いる。ここでは、神様の水でいれたコーヒーや、お蕎麦を振舞ってくれます。

水の流れる音に耳を傾けながらコーヒーの香りに包まれていると、本当に
癒されること請け合い……

このエリアには、鹿島神宮の他にも香取神宮や佐原があります。日本地図
を初めて作った伊能忠敬で有名なこの地は、江戸の街並みを残す川越のような
街。中心を流れる川には、船が浮かんで素敵です。

帰り道では、必ず立ち寄る潮来の「道の駅」。
家に帰ってきてから「何でこれを買ったのだろう」と思うのは日常茶飯事。
でもそんなことは気にしない。

初夏の風を感じて鹿島神宮にドライブはいかがでしょう。



生まれたての朝
また新しい一日が始まる。

早朝の始発電車は、まだ発車前。人もまばらで静か、開け放たれたドアからは
涼しげな風が入り、車内を真っ直ぐに吹き抜けていく。

今日は曇り空。この曇り空の表情は、どこか秋を思わせる。これから活気に溢れた
夏に向かう空というよりは、万物がその身をすくめ、英気を養う冬を目指す空の色。

ふと幼い頃に歌った、サトウハチローさんの「小さい秋見つけた」の歌詞を思い出す。

お部屋は北向き曇りの硝子、
うつろな目の色、溶かしたミルク
わずかな隙から秋の風

電車は走り出し、海に沿ってスピードを早める。鉛色の空を映す灰色の海。
何もかもがグレーに染まる、そんな一瞬。

静かだった車内に人が吸い込まれ、そして、徐々に朝の活気を取り戻していく。
静寂から喧騒へ、モノクロからカラーへ。
そして、海の有機臭から、誰かがつけるブルガリの香りへ。

海に沿って走る、走る。

そして突然、雲の切れ間から太陽が顔を出した。
ロシアの詩人、パステルナークの有名な一節。

雨つづきの日々が終はりに近づき、
雲間に空の青さが現れだす頃、
決壊箇所の晴れ間は何といふ華やぎ、
草地は何と祝祭気分に満ちてゐることか..........

太陽の目覚めで、季節は春へと時計の針を戻した。
太陽の力は計り知れない。

一つの朝に、二つの季節。

そして新しい「今日」が、また始まった。


みんなで病気
土曜日は1日中寝ていた。

別に体調がすぐれなかった訳でもなく、これといって深い理由もなく20時間ほど眠って
しまう自分が怖い。

「もしかしてうつ病?」

とも思ったのだが、眠れないことはあってもここまで眠るというのは、むしろ別の病気だと思う。
「マイ・プライベート・アイダホ」という映画で、今は亡きリバーフェニックスが罹患していた
ナルコレプシー。15才前後での発症が多い睡眠障害で、レム、ノンレム睡眠間の中途覚醒に
より、金縛りを引き起こすのだと。

実は私、この年代によく金縛りや霊体験のようなものを経験していて、時に30時間以上
眠っていたこともあった。主に、現実逃避なのだけど、もしかしたらそんな病気だったのか
とも思ってしまう。病気だった、というのは本当に甘美な誘惑。自分の中でそれ以上の考察
や追究の手を緩める格好の言い訳になるもの。

寝溜め後に目覚めた時の喪失感たるや相当なもの。今日は少なくとも自分が「充実している」
と考える休日の過ごし方をした。と、いっても何か普段と違う特別ものでもなく、ただ淡々と
部屋の掃除、洗濯、猫の世話を終えて、ヒトカラ、マッサージ、ショッピングといった普通の
休日を過ごした。
関東南部では、夕方からポツリポツリと雨が降り出し、今はそれなりの雨脚になっている。

世間では、今の時間帯を魔の「サザエさん症候群」「ブルーマンデー症候群」などと呼んで、
月曜日の出社を恐れるサラリーマンの恐怖をあおっている。でも、そんなのは所詮幻影なの
だと思ってしまう私。もし毎日が休みになれば、サザエさんもブルーマンデーも来ないけど、
何かつまらない感じ。私は2日休んで、ああ、ちょっと足りないかな、ぐらいでまた規則
正しい一週間に入る方がほっとする。そう感じる自分が本当なので、世間の「なんとか症候
群」には騙されない。

レッテル張りは物事を解りやすくはするけど、そんなのに振り回されているとものすごい病気
な人になってしまう。「ピーターパンシンドローム」「スチューデントアパシー」「モラトリ
アム人間」「スキゾイド人間」「シンデレラコンプレックス」「リストカットシンドロー
ム 」「空巣症候群」「ミドルエイジシンドローム」「燃え尽き症候群」などなど。

ここ十数年でいかに病巣が増えたことか。海外の心理学系の本のヒット以来、タイトルの翻訳
も皆「~な人たち~な人たち」に右にならえで、本当に独自性がない。いまだにこの系列で
次々と新しい病気を作り出しては、大量に本を売っているインチキ先生もいるけど。

実際、こうした本のほとんどを読破している私からすると、もう騙されませんよ、というのが
本音。誰にでも当てはまる最大公約数的なところで勝負してくるから、「これ私にもあて
はまる、もしや」的なあおりで読者を呼ぶ。饒舌に症状の説明と分析はしてくれても、じゃあ
一体どうすればいいの、という肝心の処方箋になるといたって歯切れが悪い。人によっては、
言いっぱなしで結論のない先生さえいらっしゃる。

とどのつまり結局自分。その時代時代に即した名前をつけては、人類が経験してきた似たり
寄ったりの神経症を焼直してるだけだもの。「原始時代には現代のようなストレスがありま
せんでしたので」などと。
それじゃ、一体どこのだれが実際に原始時代のストレスを体験しているんじゃ。「比較対象に
対する科学的考察から、演繹や帰納法で仮説を導き出しております」が聞いてあきれる。
リストラで家族を養えなくなったパパのストレスは、原始時代にマンモスがとれなかったパパ
のストレスとどこが違うのだ。

とりあえず参考にして、自分で試してみる。そして、自分には合わないと感じたら、その場
できれいさっぱり忘れてしまった方が身のため。引きずると本当に病気になってしまう。
あくまでこの説は、この先生の考えで、もしかしたらこの先生のものすごい妄想から生まれ
たのかも知れない。

古い映画「オルフェ」の中のセリフだったかと思うけど、「人生は夢のようなもの、もしか
したら、今、現実だと思っているこの人生が夢なのかも」的なものがあった(記憶違いであれ
ばごめんなさい)。洋の東西を問わず、中国の荘子も胡蝶の夢で同じようなことを言っていた
ように思う。

私は一体、今の自分に何の病名をつけて逃げようか、と思った時に、いくらでも求める病名
を与えてくれる心理系の本の山が、とても胡散臭く感じられてしまう今日この頃。これもまた
新しい病気なのかしらん。


常磐線にて
その日、私は常磐線に乗ろうとしていた。

オールナイトでドライブに行く予定で、茨城の友人宅を目指す。週末の終電は蒸し暑く、
少しでも空いている車両を見つけようと必死になっていた。

比較的空いている車両を見つけると、車内を見渡し酔っ払いと危険人物がいないことを確かめる。
そっとドア近くに立つと、目の前に背の高いロマンスグレーの紳士が、ドア脇の三角コーナー
に立っていた。仕立てのよいスーツにバーバリーのバッグ。日本人離れした堀の深い
顔立ちで、ちょっと見、イタリアのちょい悪おやじ風味。

といあえず怪しげな感じはしなかったので、その彼のななめ前に空いていたスペースに紛れ
込んだ。しばらくするとなにやら匂う。

「イカくさい」

周囲を見回したもののイカの気配はない。しばらくすると、今度はせんべいの匂いがする。
一体、誰だろうとアンテナを張り巡らすと、灯台下暗し。何やらこの紳士の挙動が怪しい。
左手には、バッグとおそろいのバーバリーのハンカチ。そのハンカチの中に何かを巻いている。
そして、今度はおもむろに右手をポケットにいれると、何かをつかんでそのまま口に
いれた。

「イカだ!」

紳士の口ひげからイカ燻のゲソがはみ出している。そして右手のハンカチを口にあてると、
ズズズと何かをすすった。ワンカップかチューハイ、とにかくアルコールの匂いがする。
次にまたポケットに手を入れると、今度はせんべいの匂い。

「柿ピー?」

まさかあの素敵なスーツのポケットの中には、イカや柿ピーがそのままチャンポンか。
すると紳士は、イカを触った指をねっとりと口に含むや、次の瞬間、ジョポッと外に出す。
その指を自分のスーツになすりつけて、大きなゲップをした。ここで飲み物はビールと判明。
ゲップは私の顔を直撃し、倒れそうになる。思わず背を向け、反対側を向いた。

するとそこには、女の子が立っていた。身長は1メートル50センチほど。実際のところ何歳
かわからない。無地の緑のスカートに白いソックスをはいている。そこはかとない違和感
を感じた私は、その原因を追究すべく、視線の端で観察を始めた。

まず、まばたきを一切しない。口が常時半開き。ファンデーションの色があっていない。
舞台女優の砥の粉化粧というか、顔立ちも含め、まるで小梅太夫のようだった。

何か危険信号を発していた彼女におののいた私は、そのままゆっくりと横に移動した。

すると、彼女と紳士を隔てていた私という障害がなくなったことで、彼女の欲望に火がつい
てしまった。

「うぅぅぅ」

何か言っている。そして、おもむろに右手を前に差し出すと、手のひらを丸めてひしゃくの
ような形にし、そこで何かをつかもうという態勢。徐々に顎を引き、紳士を見つめる目に
いよいよ熱がこもる。電波ゆんゆんで徒競走のスタート姿勢になった彼女は、ものすごい
雄叫びとともにラッパ水仙発射。

1メートルと離れていない紳士に向かって体当たりをすると、左右の肩を交互に前後しな
がら、紳士を三角コーナーに追い込む。グリグリと体を押しつけながら、おそらく私が
それまでの人生で聞いたことのないような声をあげながら、突進を続けている。そして、
私は見た。彼女の右手が紳士の下半身をまさぐっているのを。

あのひしゃくの意味が、ここでようやく判明した。

一方の紳士は、驚きのあまり手にもっていたビールを床に落とす。女の子の髪を濡らし、
床に転がった缶からシュワーッと白い泡がたつ。ビールで濡れた女の子が驚き、そのまま
ホームに飛び出すと、絶叫とともにホームの彼方へと走り去って行った。

そして発車のベルがなる。先ほどの騒動でこぼれたビールを囲み、混雑した車内に空間
ができていた。まさにドアが閉まる瞬間、今度は、そこにヒールをはいたミニスカート
の女の子が飛び込んできた。終電に間に合おうと必死に駆け込んで来たのだ。

電車に飛び乗るやいなや、紳士がこぼしたビールに足をとられた彼女は、両足をV字に
開いたまま、後ろにすっ転んでしまう。無防備にもスカートの中身は全開し、あられも
ないその姿は、まさに犬神スケキヨ状態。

電車の中は、2~3分のうちに起こった惨劇の展開の速さについていけず、誰も
何も言わない。OLのお姉さんとおばさんが女性を起こすと、彼女の長い黒髪が張り
付いて、今度は貞子状態に。本当にお気の毒と思いきや、この彼女が歯茎を丸出しに
して笑っている。転んだ時の照れ笑いなのかと同情したが、豪快な爆笑なのだ。
どうやら生まれながらのジャイ子気質らしく、野太い声で「大丈夫です、ガハハ」と
快哉を叫んでいる。

これは常磐線で起きた事実。そして、私はこれまでに何度も友人に話してきたものの、
「雨と傘袋」で書いた時同様、誰一人として信じてくれなかった。以来、私は出会った
驚きを写メに記録するよう習慣づける。今、私のデータフォルダには、電波女がリー
マンのスーツに浴びせかけたジュクジュクトマトの破片や、九十九里の浜辺に大量投棄
されていた使用済みのイチジクかんちょうなど、ありとあらゆる阿鼻叫喚が詰まって
いる。

また、機会を改めてご紹介しますね。


後記:横溝ファンの私としては、
一つ断りをいれておくと、湖でV字開脚をしていたのは犬神佐清(スケキヨ)ではなく、
彼になりすました青沼静馬の死体です。



いのちのこと
今、私は電車の中で発車待ちをしている。今日は電車にまつわるショックな出来事が
あったので、iPadで書き込みをしている。

事の始まりは昨夜のこと。急に、西村まゆ子の「天使の爪」と宮本典子の「エピローグ」
を聴きたくなった私は、夜中にもかかわらずPCを立ち上げた。2人ともしっかりした
歌唱力の持ち主で、安心してその世界に入って行くことのできる「昔の」歌手。

そんな中にあって、懐かしいアイドルが出て来た。ようつべの映像の中で、甲斐智恵美
さんがデビュー曲「スタア」を歌っている。健康的でハツラツとした表情が印象的
な彼女は、その後、結婚して芸能界を引退。お子さんにも恵まれて幸せに暮らして
いらっしゃると聞いていた。そして、あの突然の訃報である。

首吊り現場の第一発見者がお子さんというのは、一体どれほどのトラウマになるのだろう。

テレビカメラに向かって、希望に溢れる未来を見つめるその眼差しの先に、こんな悲劇
が待っているなど、誰一人想像しなかったに違いない。

そして、そのままPCを落とした。

今朝の私は、いつも通り、いつもと変わらぬ時間の電車に乗り込み、冷房の風に巻き
上げられたOLの髪の毛にくしゃみを我慢していた。私の乗った電車が新橋の駅を発車
しようという時、車内にアナウンスが流れる。ちょうど今、通り過ぎてきた有楽町
の駅で人身事故があり、この電車はしばらく停車しますとのこと。

車両の中をすぅっと寂しい風が通りぬける。ホーム側に向かって立っていた私は、
電車が発車する際に、まさに次の電車に飛び込もうとするその人を見ていたのかも
知れない。

乗客の反応は様々で、時計に目をやりながら苦々しく舌打ちをする人。スマホを
取り出し情報をチェックする人。そして、表情一つ変えることなく、新聞を読み
続ける人。知らない誰かが自殺をはかり、それにいちいち反応するなどというのは、
確かに馬鹿げている。そして、こうして多くの人に迷惑がかかってしまったこと
も事実。でも、たった今この瞬間に人ひとりの命が消えた現実に、周囲の無関心
が心寒かった。

忙しいのは皆一緒。でも、どうすれば舌打ちなどという品性下劣な真似ができるの
だろう。

人間一人の尊厳というもの、命の重みというものに、舌打ち一つ...


この世に生まれて数年もすれば、どんなに人にも人の和(輪)と関わりが
できて、そして、コミュニケーションが始まる。生きた軌跡を刻みながら、年を
重ねるにつれて繋がりもその広がりを増していく。たとえ今、どんなに孤独な人で
あっても、祝福されて生まれてきた愛の記憶、ご両親の愛情や兄弟の喜びを、
ただ忘れてしまっているだけなのに。

なぜなら、人は一人では生きられないもの。

さっき亡くなったのは、もしかしたら私の友達の家族かもしれない。1年に3万人、
1日に90人、そして16秒に1人の人が亡くなっていれば、決して大袈裟な例えでは
ない。舌打ちができるどれほどの忙しさが、あなたの人生を振り回して
いるのですか、と、心底気の毒になった。

そして、帰り道。職場の最寄り駅で、今度は、東京駅で人身事故があったこと
を知り、今、この文を書いている。首都圏以外に住んでいる人には距離感がないと
思うけど、今朝の有楽町と今、人身事故が起こった東京駅はすぐお隣の駅。
一日に二回、それも私の行きと帰りに合わせたタイミングで起こった自殺
に凹んでしまった。

世界第3位のGDPをもつこの先進国は、同時に世界でワースト10内の自殺大国。
以前、「二十歳の原点」の日記でも書いたけど、死にたい人は、試しにあと
一日だけ生きて欲しい。そして、その一日を少しずつ更新して欲しい。

過去も未来もない。でも、きょう一日、今を生きた。
あなたは生きているだけで十分。例えあなたの名前を知らなくても、心から
死んでほしくないと思っている人がここにいるの。

試してほしい。

おいしいものを食べて、お腹いっぱいになって、ゆっくりお風呂に入って
体を温める。そのまま気持ちよくなったら、「清潔な」シーツと枕カバーの
ベッドに入って、朝日と一緒に跳ね起きる。

昼夜逆転生活に戻りたくなっても、ここはちょっと我慢。この生活を3日、
いや、1日でも続けられたら、死にたい気持ちの半分はどこかにいってしまう。
人間は動物であればこそ、即物的な欲求を外堀から埋めてあげるのも
効果的。

きっと世界のどこかにあなたとの出会いを待っている人がいる。でも、
居なくても大丈夫。少なくともあなたがあなたを好きでいてあげる限り、
幸せの可能性は絶対に減らない。そして、仕事なんか結局どうにでもなって、
どこに行っても生きていける。

生きてさえいれば。


生きてください。


家の庭
家の猫の額ほどの庭。この庭が最近「けもの道」としてご近所の猫たちの人気を
集めている。

そもそも私は、庭いじりというものが大嫌い。それなら、なんで庭のある戸建て
を買ったのか。これも行きがかり上、仕方なく買ってしまった。私の人生はいつも
こんな感じ。買ったといっても、いつ払い終えるか分からない(実際よく把握
していないのだけど)住宅ローンが果てしなく目の前に続く。

当初は綺麗だった内装も、猫三匹の攻撃で大変なことになっている。だから、
人も呼べない。

庭とて同じこと。入居当時は、子供の頃から夢にみたバラのアーチが欲しくて、
家の外装や景観は一切無視。お蝶夫人の背景に飛び散るバラの花びらを散らす
ために、早速、近所のホームセンターで鉄製のアーチとバラの苗を買って
来た。

本当は真紅のバラが良かったのだけど、

「手入れが大変で、虫がいっぱいつきますよ。」

と言うカインズのお兄さんのアドバイスで速攻却下。この「虫」というキーワード
は、蛇と並んで私の人生にないことになっている。

その昔、実家の猫が葡萄の木陰で遊んでいるのを見つけた私は、しゃがみこんで
彼を呼んだ。遠くからかけてくる愛猫。その頭には、色鮮やかな緑色のちょんまげが
ついている。自然界には存在しないような、極彩色の正体を突き詰めるべく、
私は疑うこともなくそれをつまんだ。本当に緑色のクリスマスデコレーション用の
モールか何かだと思ったの。

そして、ご想像のとおり、その物体は半透明に波打つ内臓と、規則正しく動く
無数の足をもつ軟体動物だった。あまりの大きさに驚き後で図鑑を開くと、何とかと
いう日本最大級の蛾の幼虫。私はつまんだ瞬間、笑っていたように思う。

恐ろしくて一刻も早く手放したいのに、なぜか金縛り状態の私。おびただしい
緑の液体を絶えず口から吐きながら、悶え苦しむ幼虫をつまんだまま...そう、私は
恐怖で笑っていたと思う。

カインズのお兄さんの虫話におじけづいた私は、妥協してモッコウバラを選んだ。
妥協はいつも私の人生の味方??しかし、予想に反してこのバラが結構愛らしい。

アーチの横に2株植えるや、見る見るうちに成長してアーチにからみ、いつの間にか
なんちゃってお蝶夫人のバラになった。幸い虫もついていない。ただ、このバラは本当
に丈夫で、アーチの地肌が見えないほどに繁茂状態。そして、初めての台風を迎える
や、自らの重みでアーチをなぎ倒し、そのまま根元からもげてしまった。こうして私の
バラのアーチは夢と消え、モリモリになったバラがつっかえ棒で立っている。

こんな庭でも、暖かくなってくると草むしりをしなくてはならない。カインズの
お兄さんに騙されて買った、めっぽう使い勝手の悪い熊手みたいな器具(私はこの
器具の正式名称をしらない)を片手に、庭の端にしゃがみ込む。サクッと一振り、
土をほじくり返すと、そこには阿鼻叫喚の世界が!

子どもの頃、皆で大きな石をひっくり返しては、その下から色々な形の生き物が
出てきて、みんなでキャーという。気持ち悪いのが分かっていながら止めることが
できないアレだ。土の下からはナウシカの虫みたいなのが、ゴロゴロと転がり
出てくる。本当に次から次へと出てくる。

固まっている私を横目に、いつの間にやらムクドリとスズメの混合部隊が庭に
飛来すると、恐怖に怯える私の目の前で横一列に隊列を組む。そして、いかにも
嬉しそうにデデデと前進しながら、丁寧にナウシカの虫をついばんでいくでは
ないか。虫も怖いが、それを食べるムクドリはもっと怖い。あんなに地味な
鳥なのに.....

この庭にはイチジクの木もある。

私はイチジクが嫌いで、生涯で一度も口にしたことがない。嫌いな理由はあの
ビジュアルだ。微妙な色あいの皮をむくと、中には腐乱した昆虫の卵のような
ブツブツがみっちり詰まっている。そんなイチジクがなぜ家の庭にあるのだろう。

こちらも行きがかり上の理由。外国人の友人が、縁日で買ったというイチジク
の鉢植えを帰国時においていった。まさかこんなに大きくなると思わなかった私は、
それを庭に植えたのだ。

そして2年。今やイチジクは2メートルほどに育ち、たくさんのエイリアンの卵を
つけている。やがて夏にはドドメ色に変色し腐って落ちる頃になると、あのムクドリ
たちがたかって食べている。

結局、家の庭には、斜めに傾いたアーチに寄生するモッコウバラと、巨木と化したイチ
ジクの木、そして、ハーブガーデンで買ったローズマリーが、魔女の髪の毛のように
地をはっている。

こんなつもりではなかったのだけど、雑草が生えても除草剤は絶対に使わない。怯え
ながらも草むしりをしなければならない理由は、冒頭の「けもの道」だ。ご近所の
猫たちが家の庭で遊んだり、イチジクによじ登ったりする限り、はだしの彼らの通り道
に除草剤を撒くことは絶対にできない。

おかげで家の庭は、巨大な昆虫たちと猫の楽園になっている。





盲導犬
今日、会社を終えて電車に乗ると、私の目の前に盲導犬が座っていた。ベージュ色の
ラブラドルレトリバーは、大きな体を小さく小さく丸めて床にへばりつくように
横たわっている。

電車の揺れに神経質に顔をあげては、周囲を気にしている。気のせいか目が悲しみに
沈んでいた。体全体につやがなくやせている。かなり年をとっているのかも知れない。
試しに本人に聞いてみる。

「何が悲しいの」

すると一瞬目を合わせて、そのまま向こうを向いてしまった。

以前テレビで見た盲導犬の生涯が頭をよぎる。生まれたばかりのラブラドルの子犬たち
は、10ヵ月間限定で専門のボランティア、パピーウォ-カーに預けられる。この家庭で
子犬は目いっぱい可愛がられ、甘やかされて育てられる。ここで盲導犬のベースとなる
情操面、つまり、人間を信頼してやまない心を育てるとのこと。

犬好きなボランティアの家族も、この期間限定の子犬を本当の家族として可愛がって
いた。そして訪れる別れ。飼いだす時からわかってはいても、やはり別れは辛い。
生涯の中でももっとも楽しい時を終えた子犬たちは、そこから盲導犬としての教育を
受けるため、専門の訓練センターに連れて行かれ、厳しい訓練を受けることになる。

車に乗りたがらない犬、そして、号泣する子供たち。ここで一度別れると、犬の気持ち
を乱すことのないよう、もう会えなくなるとのことだった。こうしたボランティア
の家族は毎年このサイクルを繰り返している。社会貢献に対してどんなに強い意志が
あったとしても、私には到底無理な相談だ。

訓練センターのラブラドルたちは、邪魔にならずに座る訓練、安全に誘導する訓練、
乗り物の中で足を踏まれても鳴かない、吠えない訓練を受ける。

そして、目の不自由な飼い主と共に盲導犬としての人生を送った老犬は、やがて体力が
なくなると引退して、専門のケアハウスや、かつて自分を可愛がってくれたパピーウォ-
カーのもとに戻ったりして余生を過ごすらしい。

今、目の前にいるこの犬は一体どのステージにいるのだろう。もうそろそろ引退の年では
ないのだろうか。足を踏まれたら痛くないのだろうか。そして、この子は今幸せなのだ
ろうか、と考える。でも、そんなことはこちらのちっぽけな感傷なのかも知れない。

彼は今、仕事中なのだ。体をはって飼い主を守らなければならない。そう訓練されてきた
のだ。駅につくや辛そうに起き上がると、飼い主を誘導してそそくさとホームに下りて
いく。よく見ると飼い主の方は弱視で多少視覚が効くらしく、むしろ老犬を引っ張る
ようにスタスタと前を歩いていく様子。あまり役に立たない老犬でも、もう絶対にこの子
を手放したくないという、飼い主の強い意志がひしひしと伝わってきた。

人が人を殺める悲しい今日にあって、犯罪や交通事故から人を守って亡くなった
警察犬や、目の不自由な方たちの目となって日々を共に歩く盲導犬たちの存在が一際
心に迫る。悪の温床となる麻薬を嗅ぎ分ける麻薬探知犬や、テロリストさえ追い込む
爆弾探知犬の体を張った行為。時に人間の方が恥ずかしくなるような威厳をもつ動物
たちには頭が下がる想いでいっぱい。

しかも大型犬の寿命はもともと短いらしく、友人のラブラドルなどは10才になると
あっさり死んでしまった。

今日見かけた盲導犬には、せめて静かな老後を過ごさせてあげたいと思うけど、
今後あの飼い主が手放すことはないとみた。足腰の立たなくなった盲導犬を車いすに
乗せてでも、目の見えない自分が車いすを引っ張って犬と一緒にお買い物に出かける
勢い。でも、それでいいのかも知れない。

あの犬の価値は彼にしかわからない。彼にとってあの老犬は、もはや自らの目の
機能でも、訓練された道具でもなく、大切な大切な人生のパートナーなのだ。

今、盲導犬の訓練士やセンター、犬のすべてが不足しているとのこと。
このニュースに、果たして盲導犬協会を3つ目の寄付団体に選ぶべきかどうか、今、
私は真剣に財布の中身と検討中。



八つ墓村
昨日は美容院の帰りにタワーレコードに寄る。

音楽がデジタルデータになり、映像も簡単にダウンロードできる今の時代にあっても
つい足を運んでしまう場所のひとつ。ぶらぶらと店内を歩きながら視聴しては、新しいCDを
チェックするのが殊の外楽しい。特に斜陽なこの業界にあって次々と繰り出されるコンピ
レーションアルバムの数々。1枚のCDで異なるアーティストの曲や、レーベルを超えた
ベスト、また、的を絞ったテーマ別に編集されている「お得」感が、私のように欲張りな
人間にはとても嬉しい企画。

音楽の世界もロックやジャズ、クラシック音楽とポピュラー音楽を融合させたクロス
オーバー等、新しい分野が展開されていて楽しい。人によって好みは分かれても、私はサラ
ブライトマンや日本の藤澤ノリマサさんのようなスタイルのクラシカルクロスオーバーが
好きでよく聴いている。もともとオペラは好きだけど、さらに距離を縮めてくれた感じ
がする。

そんなタワーレコードのコーナーに「あの頃映画」というブロックがあって、1枚2,000円
でセールをしていた。私は古いタイプの人間なので、この時代にあってもお気に入りの作品は
ちゃんとBlu-ray(このスペルが正しい)やDVD、CDで手元においておきたい。何かいい
のはないかな、と邦画の棚を物色していると、大好きな横溝正史の「八つ墓村」が目に
とまった。

このブログでもたびたび登場するように、私は大の横溝ファン。特にこの松竹製作の
「八つ墓村」には「超女優 - 市原悦子」で書いた悦子様や、「私の休日」に登場した
桜吹雪の山崎努様が出ていらっしゃる。横溝シリーズの中でもっとも映像化された
作品だ。

このお二人以外にも、さすが松竹とあって金田一耕助役には渥美清さんが配役。

配収20億を売り上げた大ヒット作だけに、この他のキャストも豪華絢爛、日本の名優を
ここぞとばかりに投入している。どうして昔はこんなことができたのだろう。今は
スポンサーがお金を出してくれないのかしら。

話をもとに戻すと、脇役でありながらその怪演で見るものを恐怖のどん底に陥れてくれた3名
をご紹介します。

まず田中邦衛さん。落人として逃れた彼は、欲に目がくらんだ村人の襲撃に遭う。そこで首を
斬られるのだけど、その生首がドヨーンと飛んで村人の腕に噛みつくの。

次に夏八木勲さん。私はこの俳優さんの演技が大好き。田中邦衛さんらを率いる落武者の
大将役なのだけど、同じく首を斬られてしまう。そして、一通りの惨劇が終わるや、カメラが
あばら家の縁先に並べられた生首をパンしていくのだけど、彼のところで稲妻が光り、生首
がゆっくりと目をあけるの、キャーッッッ!

そして真打登場、女優小川眞由美。映画の終盤で殺人を見破られた彼女は、洞窟の中で
もののけに変貌する。泣き叫びながらショーケンを追いかける姿はもはやミステリーを超えた
オカルトの域(少なくとも落武者2人と彼女に加え、山崎努さんと市原悦子さんはホラー)。
この鍾乳洞内の追跡途上では、さらに双子老婆の片割れが、どざえもんになって水から
浮かび上がったりと、普通でも怖い女優さんたちがパワーアップしてこれでもかと突き
進んでくる感じ。

迷うことなくDVDを手にして購入した私は、今日ゆっくりと見ようと思ってそのまま
リビングのテーブルに置きっぱなしのまま寝てしまった。

そして今日。掃除、洗濯、家事一般を済ませ、さて八つ墓村とばかりにコーヒーとケーキを
そろえて準備完了。いそいそとテレビをつけると夏八木勲さんの訃報が流れている....

また変なシンクロニシティー。

確かガンを患っていらっしゃるとは聞いていたけど、突然の訃報が本当にショック。特に
この映画では生首の役だったので、何か見る気がしなくてそのままになってしまった。少し
気持ちが落ち着いたら懐かしく拝見させていただこうと思う。

また一人、昭和の名優が逝ってしまった。心よりご冥福をお祈り申し上げます。


ヘーベルハウスのラム君
以前、小林製薬とSoftBankのCMについて書いた通り、私はドラマもさることながらテレビ
CMにとても興味がある。ほんの15秒か30秒の尺で、見ている人の心を引きつける作品群。
この制作には多くの人たちの才能と技術の結晶が詰まっているに違いない。

時にCMが商品や企業から一人歩きをするほどのインパクトを作り上げることができたら、
それは広い意味での芸術の範疇になるのでは、とさえ思えてしまう。

野村不動産プラウドの、クロアチア「プリトヴィツェ湖群国立公園」。世界にはまだこんな
にも美しい場所があることを教えてくれた映像美のCM。

ゆずの「虹」をBGMに、浅田真央選手の軌跡をたどる日本生命の応援CM。

バルコニーで踊るおばさん自体が虫除けのようなキンチョーの虫コナーズ。

私は広告の専門家ではないけれど、もはや1人の存在感で引っ張れるほどのカリスマ性を
もつ、オードリークラス(勿論ヘップバーンの方)のスターがいない今、これらCMのように
映像、音楽、ストーリー性のどれかが抜きんでていなければ、人の心をつかむことは
できないと思う。

そんな中で、私の今一番のお気に入りはへーベルハウスのラム君だ。

このコマーシャルは羊が出てきて歌を唄いながら、テーマである3階建てがいかに素敵かを
時に楽器を振り回して踊る。そしてシリーズ化され、もう何編も制作されているのだ。

最初の頃は、通りがかりの女の子の手にかみついたり、同じ羊の人形の家族がいたりしたが、
今は可愛いキャラで、なぜか人間の兄弟をもつ設定に落ち着いてきた。

たかがぬいぐるみと侮るなかれ。このCMは、先ほど私が勝手に設定した心うつCMの3条件
"映像、音楽、ストーリー性" のすべてを網羅しているように思う。特に、今流れている
「ずーっと・妹」にはやられた。初めて目にした瞬間から涙がとまらず、CMが終わった
後もほのぼのとした余韻に包まれた。


ベビーベッドの端から手を伸ばして、やっと生まれた妹の足をなでる羊。
両親が赤ちゃんにかかりっきりで、鉄道プラレールで一人遊びをする羊。
でも、大丈夫、僕はずぅっと妹が欲しかったといって妹にキスをする羊。
その様子を両親に盗み見されて、照れ隠しにマラカスを振り回すひつじ。


私の中では、本編がこれまでのバージョンの集大成ともいうべき感動巨編である。たった
15秒の羊のぬいぐるみに涙が止まらない。なぜか知らないがあまりの健気さに泣けて
泣けてしょうがないのだ。

これまではCM後半で画面が3分割されて、1階から3階に上がるにしたがって口が大きく
開き、家に帰る喜びを叫んだり、地元の商店街の路上ライブに感動して踊り狂ったりの
パターンだった。しかし、今回はしんみりとしたスローのBGMで、ラム君にも新しい
表情が加わった。
残念ながら、これまでは口の開け閉めでしか表情がつくれなかったのだけど、今回は届かない
ベビーベッドの奥にいる妹にキスをしたい一心で口が伸びたのだ!

こうした兄弟愛のストーリー性や、可愛らしい羊のビジュアルに加え、ラム君の声と歌を担当
する川越浩さんのパワーがすごい。優しくて押しつけがましくない透明感のある彼の声が、
真っ白な羊にこの上なくマッチしている。アップテンポでもスローでも、どこから聞いても
ラム君の声にしか聞こえない。

最近の私は、レストランでデザートを待つ一瞬の隙をついてバッグからiPadを取り
出しては、ラム君の妹編をみて涙している。勿論、食事中に携帯やiPadをのぞくような
恥ずかしいマネはしないけど、電車の中や会社の休憩時間には画面いっぱいに拡大して
一人笑いをしては、周囲から怪訝な目で見られている。

昨日など、ふと気づくと隣のおじさんが一緒に覗き込んで勝手になごんでいたのにはびっくり。
画面がきれいで大きいのはいいのだけど、iPadは隠せないのよね。

ちなみにラム君(もしlambからとったとしたら、子羊というより肉の種類の意味に近くて
少し怖い。CowというよりBeefみたいな)の本名は羅務正永(らむ まさなが)。ちょっと
した暴走族のDQNネームでしょ?誰得ですが身長50センチらしいです。

それではご覧下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=UnLDs-xPe08


翻訳の仕事
本日、友人から預かっていた翻訳がようやく完了した。400字詰め原稿用紙で
総計400頁近い翻訳は初めての経験。途中、一切手をつけない週末もあり、逃避
をしながらなんとかたどり着いた。

会社勤めをしながらの翻訳作業は本当に骨の折れる作業。やはりメインはお給料を
いただいている会社が優先で作業は帰宅後になるため、なかなかペースがつかめ
ない。しかし、いざ終えてみるとそれなりの達成感があり、今度はどうしようか
などと欲がでてくる。

あくまで自分の翻訳スキルをあげるための手段として受ける仕事のため、サイド
ビジネスの感覚はない。将来定年したら自宅で翻訳を続けたいと思い、自分の
時間を使って少しずつキャリアを積んできた。ただ今回は頁数が頁数なだけに
まとまった金額になりそうでこわい。何の道具ももたない自分からこうしたお金が
生まれ出でてくることに少し驚いている。

かといって、それでは明日にでも会社を辞めてフリーランスになろうなどという
暴挙に出るほど私も若くはなくなってしまった。

それはいつ来るかわからない仕事をPCの前でじっと待つ日々。サラリーマンの
コーディネーターが仕事を丸投げして週末を楽しむ間、昼夜を問わず短納期の作業
を続ける。もし顧客からの連絡時に不在でコンタクトがとれなければ、たやすく
他の訳者に移っていく現実。これは薄情でも非情でもなく、時間勝負のビジネス
では仕方のないこと。特にこの業界は国境がないため、時差さえ利用して作業時間を
生み出している。

「法律関係はできません、電子工学の専門です」とか「男なので化粧品やメイク
の翻訳は無理です」などと、仕事のえり好みもできない。マーケットの裾野が
広い割には、実際に翻訳のみでご飯を食べている人は少ないのではないかと
思う。

昨日の続きになるが、翻訳業界には「産業翻訳(技術翻訳)」「文芸翻訳」「映像
翻訳」などがある。世間一般のイメージとしては映画の戸田奈津子さんのような
映画の字幕や、ハリーポッターの日本語訳などを想像する方も多いと思うけど、
実際マーケットでお金を生み出しているのは「産業翻訳」と呼ばれる、その他大勢の
地味な仕事。携帯電話のマニュアルだったり、PCの取扱説明書だったり、薬の能書き
だったりする。そしてこのITの時代、日々次々と生み出されていく言葉の数(特に
英語)に辞書さえ追いつかず、ネットでの検索や電子辞書等が主流になり
始めている。この時代、よほどクライアントと太いパイプを持つか、マニアックな
専門がない限り、翻訳者としての一本立ちは難しいのが現実なのだ。

私の場合は言葉いじりそのものが好きなため、自分のペースでできる限り何ら
苦痛にならない。自分の知らない分野に一般市場よりも早く踏み込んでいく楽しみを
すでに知ってしまった。

今回の翻訳料は猫のおやつと募金に使おうと思う。



翻訳コーディネーター
私の仕事は翻訳コーディネーター。あまり耳馴染みのない職業かと思うので、
少し補足説明。

主に翻訳会社や一般企業の海外部門などで、翻訳やDTPを含むプロジェクト全般を
扱う担当です。クライアントとの打ち合わせ、翻訳の発注、納期、校正を含む品質管理。
DTP後の版下校正、デザインディレクションや言語的なコンサルタントに続き、各種
クレーム対応から翻訳業務そのものも担当します。

また、客先への納品後は請求書や納品書の処理や新しいフリーランス翻訳者の採用
まで、ありとあらゆる「翻訳と外国」関連業務をこなします。会社によっては
(私もそうだけど)、外国語のテレビCMやビデオナレーション、通訳の派遣も担当
したりします。

英語のキャッチコピーを考えている最中に電話が入り、クロアチア語の問い合わせを
処理する傍らで、デザイナーからタイ語のカンプチェックがくることなど日常茶飯事。
言語も仕向け地も媒体もバラバラの業務を一つのプロジェクトに取りまとめて
管理していきます。

どんなに 納期が厳しくても品質レベルを保たなければいけないのはどの業界でも
当然のこと。特にこの業界では客先が言語のチェックをできない分、その責任は
重大です。

その一方で、逆に翻訳に口をはさんでくるクライアントほどタチの悪いものもなく、
相手が「お客様」だけに本当に困ってしまう。

社内では「とても英語ができる」言語の大家とされている部長さんや、TOEIC900
アップのやり手お局が担当窓口になると本当に大変。断っておきますが、TOEIC
スコアがいくら高くても英語は話せませんし、翻訳が上手い訳でもないんです。
その証拠に翻訳者や通訳という職業がちゃんと成り立ってそれぞれに需要があるの。

こうした口をはさむ人々の代表作をここに少々ご紹介します。

◯某有名メーカー常務様の英語キャッチ

(会社名) makes love!

おそらく「(会社名)は愛をつくります」的な日本語に、ご自身が理解できる
英単語をあててきたものかと思いますが、それにしてもmake loveはいただけ
ない。

これを日本語にすると、

(会社名)は、セックスします!

キャーッみたいな。プロとして丁寧にご説明させていただき、この件は取り下げて
いただきました。

◯某携帯電話「春号カタログ」に寄せられたご担当のヘッドコピー

Spring has come, bling bling!

この日本語は、

春が来た、ブリンブリン!

一体何のことやら。この「ブリンブリン」は安っぽい宝石やゴールドのかまぼこ
指輪を只けばけばしく着飾ってキラキラしているニュアンス。決していいイメージ
ではないのですが、おそらくご担当様は春のキラキラ感を出したかったのだと推測。
企業イメージに品位は不可欠だと思うのですが。

無碍にお断りもないので、ネイティブと代案を考えてお伺いをたててもやっぱり
強引にブリンブリンを推してくる、ちょっと困ったちゃんでした。

◯某観光ガイドブック担当者

The Japan's biggest rape field!

この日本語は、

日本一でっかいレイプ現場!

rapeは強姦の意味と同様に、菜の花の意味もあります。もともと「日本最大の
菜の花畑」と言いたかったものと推察。同じ発音で同じスペルなものだから
ややこしい。菜の花rapeの代わりにfield mustardやcanolaといった別名を
代案にたててみたものの力及ばず、このまま「日本一のレイプ現場」になって
しまった。印刷されたガイドを見て、世界中からマニアが訪れたことと思い
ます。

この他にも日本語から他の言語に翻訳される時点で、ものすごい勘違いのせいで、
本来の意味とは途方もなくかけ離れた文章ができることしばしば。たとえば日本語
にはアクセントがないなんていう痛い学者がいます。勿論、欧米風の強弱アクセント
さえないものの、高低アクセントはしっかりあるの(「端」と「箸」はちがう)。
でも、これをカタカナやひらがなで文書にすると、時に外人には区別がつかない
ことが...そしてまた終わることのない阿鼻叫喚ループが繰り広げられてく。

◯某ファッション雑誌の中国語版翻訳

パステルのトップスに白のパンツを合わせて。

この「パンツ」がくせもの。フラットにパンツと発音するとズボンの意味だけど、
「パンツ」の「パ」が高いと下着のパンツでしょ。中国人のおじさん翻訳者は、
トップスをトップレスに読み間違えた上、パンツは白ブリーフの訳にしてくれて
チェックしていた私は倒れそうになった。そもそもファッション雑誌にトップレス
が出てくると思うのかしら。

こうしたエピソードは数限りないのだけど、それでも私はこの仕事が本当に好き。
「この英語やフランス語にどういう日本語をあてようか」「いっそ文章自体を
リライトする?」などと、ネイティブと一緒に言葉をいじっているときが至福の
ひととき。ちょっと入賞したり、褒められたりすると豚のように舞い上がる
私がいる。

どの言語にもそこはかとない深みが感じられて、その国の文化のすべてがつまった
宝箱。日本語を含め、その言語を使う人々、歴史的背景や文化といったものに
敬意を払いながら、少しずついいものに仕上げていく過程が楽しい。

また機会をみて素敵な誤訳の世界を展開したいと思います。


ありがとう
ゴールデンウィークに入り時間を持て余しているにもかかわらず、しばらく更新して
いなかった。

ボーっと時をやり過ごしていると何もかもが鈍化してしまうのはいつもの事。やはり
人間の感性や脳には刺激が必要なのだとつくづく思ってしまう。

今日は、いや、今日もダラダラとネットサーフィン。芸能ゴシップやら出会い系で不倫を
している主婦の悩み!?相談などを見ながら切ない気持ちになる。ああ、日本は平和なの
だわと思いつつ、そんな平和を120パーセント享受させていただいているのが今の
自分なのだとほんのり感謝。韓国はいつ何時飛んでくるかも知れない将軍さまの無慈悲
なミサイル待ち、尖閣には中国の軍艦がとぐろを巻いているし、ベトナム領のパラセル
諸島には中国の観光船が出ている上、中印国境のカシミールでは緊張が続いている。
さらに、ソマリアの飢饉やシリアの生物兵器ではたくさんの子供たちが亡くなっている
現実。

今、この時、日本にいる現実に深く深く感謝するとともに、世界のどこかに悲しみに
あえぐ人たちがいることを忘れてはいけないと思う。

さて、話は変わりネットサーフィンを続ける中で、興味深い動画を発見したので報告。
これは、宮城県の石巻地区の小中高生が、東日本大震災に思いやりを届けてくれた
世界の人々に合唱で感謝を伝える動画。曲はいきものがかりの「ありがとう」。

油断していたら、動画の出だしから号泣してしまった。

この動画はようつべにupされていたらしいのだけど、なぜかベトナムから多くの反響が
寄せられて、彼らのコメントの翻訳も載せられていた。58ヵ国の国旗の中で、ほんの
一瞬映るベトナムの国旗、そして、日本人学生がもつベトナム語の「ありがとう」の
プラカード。ベトナムの人たちは、日本人がたった一言でも自分たちの話すベトナム語で
感謝の想いを返してくれたことが、きっと嬉しかったのね。

被災地の子供たちが、災害から1年の月日を経てやっと言える「ありがとう」。

お金でもものでもないけれど、伝えずにはいられない素直な一言が多くのベトナムの人
たちの心に届いたのは、ベトナムが通ってきた苦難の歴史と無関係ではないと思う。人の
痛みを知ることのできる人たちが住む国、ベトナム。

外交官も外務大臣も太刀打ちできない小さな小さな、でも確実につながった2国間の
の絆を、これからも大切にしていきたい。それは決して原発や新幹線を売ること
ではなく、国民同志の交流という絆で。そして、ベトナムや世界の人たちに
私からも「ありがとう」。

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