猫と海辺に暮らす翻訳コーディネーターの阿鼻叫喚な日々を綴る日記。

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ゴールデンウイーク
春の心地よい風に吹かれてゴールデンウイークが始まった。

私の会社は10連休。ちょっとした旅行ならお釣りのくる日程にもかかわらず、猫を
理由に巣ごもりしている。昔から猫は家につくなどと言われていてるけど、場所が変わる
ことで猫にものすごいストレスがかかるのはどうやら事実らしい。大きな音と場所の移動。
猫にとってのストレスは、私にとってもストレスのよう。

「猫がいるから」という理由で、もう何年も旅行に行っていない。猫が半分、そして
自分の気持ちが半分。実は、なぜか旅行に出かけるのが億劫になってしまったのが実情。
友人とドライブで海や山にいったり、というのは一向に構わないのだけど、「宿泊」という
行為ができなくなったのは、果たして年のせいなのだろうか。ちょっと切ない...

猫のもう一つのストレスで思い出した「大きな音」。私はよく大音量で踊ったり、突然
オペラを始めたりする。多分とてもご近所迷惑なのだと思うのだけど、これこそが唯一
の戸建のメリットだと勝手に解釈して歌を歌う。先日もちょっと古いのだけど、中森
明菜の「Tango Noir」を踊りながら歌っていた。

リビングのテーブルとソファを端によせて15畳ほどのスペースを作り、ターンをしながら
歌う。とても正気の沙汰とは思えない。一つ面白いことには、私がこれを始めると
一番年かさのミーちゃんがどこからともなく駆け寄ってきて私の顔を覗き込み、大声
で鳴きながら何かを訴えかける。どうやら私の気がふれたとでも思っているらしく、

「大丈夫?大丈夫?お願い、怖いからすぐに止めてちょうだい。」

と言っている。それでも無視してターンを続けると、ふくらはぎに飛びついて止めようと
する。さらに蹴飛ばさないように足につけたままグルグル回り、ダスキンCMの犬のように
ミーをモップ代わりにフローリング掃除。すると、最終手段として左の肩にジャンプをして
しがみつき、顔をすりすりしながら絶叫する。この吠え方が断末魔の叫びなので、さすがに
私が折れて歌を止める。するとミーちゃんは何事もなかったかのように冷蔵庫の上にある
自分のベッドに戻っていくのだ。

この猫は変わっていて、いつも私の期待する反応とは真逆のリアクションをとって
くれる。よく病気で倒れた主人を救った犬や猫の美談を聞くたび、私もいつか機会が
あれば我が家の猫たちの反応も見てみたいと常々思っていた。

そして待望のその時が来たのだけど、今となっては知らなかった方がよかったと少し
後悔している。それは5年前、朝起きるや否や強烈な激痛が顔面を走る。初めて経験
する三叉神経痛。一般に顔面神経痛と呼ばれるこの病は、後にも先にも私の人生で
これが最初で最後だったのだけど、まさにブスブスと焼け火箸を顔に突き刺される
ような激痛。私は一体自分に何が起こったのかわからず、顔をおさえたまま
のたうち回っていた。寝ても起きても冷やしてみてもどうにもならない。ソファに
うずくまって唸っていると、何やら背中に重みを感じて手を回す...そこにはキラキラ
と目を輝かせたミーの姿が。

こんなにも苦しむ私を救うために出てきたのね、さすが愛玩動物。毎日トイレとおやつと
おもちゃの世話をしてきた甲斐があったと救われた気持ちになり、顔の痛みも和らぎかけた
瞬間、今度は背中に激痛が走った。私がのたうち回ってる姿をみたミーちゃんは、どうやら
遊んでもらっていると勘違いしたらしく、私の背中にのって無慈悲な攻撃を始めた。

キィィと音を立てて、パジャマの背中にぶら下がり、私の背中の上で反復とびのように
ダッシュを繰り返す。そして今度は、わき腹から腰、背中と前足2本のみを使っての
ほふく前進。クリフハンガーのようにぶら下がったまま爪をたてて移動する。お前は
自衛隊かっ!と思わず片手で払いのけようとすると、ぱっと飛びのけて1メートルほど
離れ、今度はそこからデデデと助走をかけて肩に飛び乗ってきた。やっとのことで
タクシーに電話をして病院にたどり着いた時には、いたるところから血を垂らして
いた私。先生に顔面の痛みの症状を話しながら、いつ「その傷はなんですか」と聞かれ
ないかどうか本当にハラハラした。図らずもこの日、我が家のペットは主人の窮地に追い
打ちをかけることが判明したのだ。

他の2匹はあきれた顔で私とミーの2人劇場をみていた。

さて、このゴールデンウイークもすでに2日経ってしまったが、無駄に昼夜逆転の
ダラダラ生活にならぬ様に有効に使おうと思う。洗濯とトイレ掃除はすませたので、
明日からちょっと断捨離に挑戦してみたい。両手にいっぱいものを抱えていては、
新しいものが来たときに掴みとれないでしょう、というのは一体誰のセリフだった
かしらん。

すっきりして、少し丁寧に生きる姿勢をもちたいと思う。



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家の猫たち
家の3匹の猫は、血統書など一切関係のない捨て猫たち。一番若い子でも
すでに10才を超えている。

今や雑種の猫たちが3匹もいる我が家でも、私は当初猫を飼うつもりが
なかった。すべて行きがかり上、いつの間にか3匹に増えてしまった。
以前「たまの思い出」でも書いた通り、仲良しだったたまが死んでしまった
あの日、私は2度と猫を飼わないと心に決めた。

それは亡きたまへの思いであると同時に、ペットロスのトラウマがあまりに
強いため、自分を守るための手段でもあった。

そんな私に猫を飼わないか、との電話があったのは13年前。友人のフランス人
から泣きつきの電話だった。あまりのかわいらしさに道で捨て猫を拾った
ものの、旅行には行けない、フランスにも帰れないことに気づいた上、予想以上
にお転婆で、もはや手に負えないなどなど。はっきり言って動物を飼う資格のない
部類にはいる人だった。私が断ったらどうするのかという質問に、ぬけぬけと、

「また拾った場所に置いてくる。」

次の日、大きなバスケットに入った生後1ヵ月ほどのメス猫が届いた。小さな
小さなこの猫は、すでにフランス語の名前があってpetite lune (小さな月)
と呼ばれていた。彼がいなくなった後、私はこのpetite luneに向かって
話しかけた。

「あなたは今日から日本人。名前はミーちゃんです。」

彼女は反抗して、3日間ほど観葉植物の鉢植えの影から出て来なかった。そして
4日目の朝、寝ている私の顔をなめて宜しくお願いします!と言う。この日から
家の子になった。

ミーちゃんがやっと慣れてきた初夏のある日、今度は日本人の友人から電話
が入る。もしかして私に猫を飼う気はないかと....

話を聞けば、2年前に中国から韓国へ職場を移した際に子猫を拾ったという。
その後、カナダ人の妻と結婚して日本に戻り、猫も一緒に空輸して連れてきた。
ただ、出産を機にこのカナダ人妻が赤ちゃんと猫の共存に難色を示し、このまま
では「公園に放す」ことになるらしい。

次の日、大きなバスケットに入った大きなオス猫がやってきた。出身はソウル。
でも名前はハルキという日本名だったので、そのまま採用した。
普段は1日中ベランダに置かれていて、旅行の際は1週間も放置したという。家に
きて初めて猫の爪とぎを見つけた時の彼の喜びようはなかった。その日から
そこが彼のベッドになった。

その後、このハルキとミーちゃんの折り合いが悪く、もう猫はこりごりと思って
いたある夏の日、突然ご近所に子猫が現れた。生後1ヵ月程で、一切汚れていない
外見から、きっとどこかで飼われていたものの、もてあました飼い主が捨てて
いったものと思われた。

ご近所の悪ガキがおもちゃの鉄砲で狙い撃ちをしているのを見かねた私は、
サンダル履きで飛び出して子供たちを蹴散らす。こういう虐待には本当に
耐えられない。とてもフレンドリーな子猫で通行人みんなに愛想を振りまいている。
ここまで警戒心がないから変な人にいじめられるのだ。私が家に入る際に、いつの
間にかドアの隙間から入ってきたこの子に、「もう家ではこれ以上飼えないよ」と
言って外に出した。

しかし、その日の午後エアコンの修理にきたお兄さんにくっついてまた家に入って
きた。

「可愛い猫ちゃんですね。」「家のじゃないです。」「えーっ。」

また外に出したものの、夕方になり声が聞こえなくなる。誰かにいじめられて
いるのではないだろか、車にひかれてはいないだろうか、と妙に気になり始めた。
どさくさまぎれに家の猫のごはんを食べた後、ひとしきりエアコンお兄さんの
足の匂いを嗅いでいた変な猫...心配になって外に出てみたものの、もう
どこにもいなかった。

胸が締め付けられる思いで、干してあった布団を取り込みに2階のバルコニー
に出ると、1階の窓の下に小さく小さく香箱を組む子猫がいた。あの猫である。
見ればよほど疲れたのか、コックりコックリと居眠りをして、そのままドデン
と横倒しになった。目を覚ました子猫は、「あ、いけない」とばかりにまた
香箱を組む。きっとお腹が空いて行き倒れ状態だったのね...この瞬間なぜ
だか涙が止まらなくなり布団をそのまま放り出した私は、1階にダッシュでかけ
降りるやサッシを開けてこの子を抱きかかえた。

何がなにやらわからない様子の子猫に「家の子になる?」と聞くと、「ニャッ」
と短い返事。その日から、家に3人目の子供が増えてしまった。

基本座敷猫の3人のうち、ミーとハルキはたまに脱走をはかる。ただこの3人目の
ピッチ(メス)は2階にさえ行こうとしない。外に出るのを心から恐れている。
きっと捨てられてから家にくるまでの間に、こわい目にあったのだろうと思う。
いまだに玄関のピンポンが鳴ると、和室の押し入れに隠れてしまう。この臆病な
ピッチが私に一番なついている。

辛いことがあると会社を辞めたい!などと思うこともあるけど、そんな私を
現実に引き戻すのはこの3人の扶養家族。私が仕事を辞めたら誰がご飯を食べさせ
ていくのだろう。飼っているつもりで、いつの間にかこちらが励まされている。
わがままで気まぐれでちっとも言うことなんかきかないけど、今や大切な大切な
私の家族になった。

あと何年一緒にいられるのかわからないけど、お別れの日まで大切にして、一緒に
楽しい思い出をつくっていくつもり。


冨永愛
少し前になるけど、SMAPのメンバーがPetshop BoysのGo Westに合わせて、いろ
いろなコスプレをするSoftBankのCM。

このCMを初めて見たとき、おかしなことに気づいた。ぼんやりとテレビを見ていた私は、
白戸家のコスプレシーンにスケートの荒川静香さんが映っているのに気付いたのだ。
他のSMAPメンバーに交じってピンクの服を着た荒川静香...その後、慌ただしく
次のシーンになると、同じ立ち位置に今度は落ち武者のコスプレをした冨永愛さんが!

何とも不思議なコラボだと思いながらも、Go West(このCMは、もしかしたら、カバー
前のVillage Peopleバージョンかもしれない)が大好きな私は、また次に流れるの
を心待ちにしていた。そして、目を皿にして待った2回目のCMで、何のことはない
草彅君のコスプレ姿だったことにやっと気が付いた。

白戸家のシーンでは、荒川静香ではなく、上戸彩になっていたのね...

後日、今度はキャットウォークをひっつめ髪で歩く、草彅君を発見。これもよく
見れば、冨永愛だった。

つまり草彅剛が女装をすると冨永愛か荒川静香になり、冨永愛が髪を縛ると草彅剛
になるというのが私の持論。髪型のみで区別されるサザエさんの家族のよう。
でも、皆さん本当に似ていらっしゃる。この3人は互換性があって、さらにもう
一人メンバーに加えるとすれば小雪さんを推したい。ただ小雪さんには、ほかの
3人にみられるゴツゴツとした骨っぽさがないのは非常に残念。

http://www.youtube.com/watch?v=jRx_7i9wnPw

私の「似ている」は他の人から賛同されたことがないので自信がない。なでしこの
澤穂希さんがTVで初めてアップになったとき、とっさに「中国4000年ミイラ展」の
看板ミイラが出てきたと思った。何か乾いた感じや、荒れた髪、それに目の感じが
そこはかとなく中国ミイラ風味。当然、誰に話しても同意されたためしがなく、
むしろ国民的ヒロインを貶めるなんて、と逆襲を受ける。勿論悪気などございません。

http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=41463

ネットで見た金正恩のアイコラが森三中の黒沢さんに見えたり、叶姉妹兄貴が電車
おじさんの東スポ風俗欄に出ていた川崎ソープのニューハーフ嬢にウリ子だったり、殺人
逃亡犯の福田和子(故人)が大竹しのぶに見えたり、髪を切った松たか子が笑ったときは、
心からミッツマングローブだと思った。

そんな中でも、草彅剛→荒川静香→冨永愛のゴールデントライアングルはどこから始まって
どこで終わっても、グルグルと循環する同じ顔だと思うのだけど。

ただ、そう思っただけ。

戦争の足音
北朝鮮情勢が揺れている。にわかに現実味を帯びてきた戦争への足音。日本を含めた東
アジアは、一体これからどうなってしまうのだろうと、掴みどころのない不安を
覚える。

ほんの2日前のブログで、「永遠平和 のために」に触れ、カントを始めとする
リベラリストはお花畑と書いたばかりである。戦後、ありとあらゆる犠牲を
払って築き上げてきた日本の平和が今、たった1人の狂人の手で奪われようと
している。

戦争の実体験がない我々日本人の大多数が、大きな岐路に立たされている。

東京の街はいつもと変わりのない賑わい。会社でもミサイルが話題にのぼる
ことはなかった。皆、あえて口を閉ざしていたのか。それとも、戦争などという
非日常が入り混む隙がないほどに、日本は平和だとでもいうのだろうか。

ムスダンやテポドンが放たれ、そして、私たちが日常を送るこの街に飛来する。
友と語らったカフェや、恋人とディナーを楽しんだレストラン。一緒に行った
動物園の動物や、歴史的建造物、そして、何より我々一人ひとりが大切に思う人々
や、子供たちの未来が失われていいはずがない。

外交も政治も意味を持たなくなったとき、あらゆる人間の理性的な外交術が
通じない相手であるとわかったとき、我々に 残された最後の手段は、果たして
相手と同じ土俵 の上にたち、振り上げた拳を下ろすしかないのだろうか。

暴力に対する暴力での報復。

以前、少年法が世間を賑わせた時、いくら頭で理解しようとしても、たとえ、
中上健次の著作を読んだとしても、繰り返し私の心に去来し続けた問いかけ。

もし、自分に子供がいたら、そして、その子供が犯罪に巻き込まれなら、
私は未成年であるから、という理由で無条件に犯人を赦すことができるの
だろうか。

アムネスティを始めとする人権団体が唱える死刑の撤廃。これについても
自分の家族を惨殺したり、また、娘を犯した犯人を目の前にして、法の裁きに
委ねられる寛大な精神があるだろうかと不安になる。冤罪、つまり人間が
過ちを侵す生き物である限り、死刑の存在にはいつも危うさがついてまわる。
だた、今の私にはYesかNoを判断することができない。

戦争も同じ。酔った勢いにみせかけて人を傷つけたりする人のように、
普段はいい人でも、戦時下ではむしろ人を殺すことが是とされる価値観の
転換がおこる。

人殺しはよくない、戦争は悲劇と知っていても、自分の子供が殺される
状況を目のあたりにした時、世の親達はどう行動を起こして行くのだろう。

自分に何ら非がなくとも、こうして国単位で戦いに巻き込まれて
いくことがある。そして、まさにこの流れこそが、かつて日本を、
そして、世界を席巻した軍事行動への入り口なのだ。

あまりに当たり前に享受してきた平和な日々を懐かしむ、そんな淋しい
瞬間が訪れることのないように、神に祈るばかりである。



日本大好き
春はすべてが新しい。

家の会社にもフレッシャーズが入社し、エレベーターの中で彼らが研修に向かう姿を
みかける。まっすぐに折り目のついたスーツや、きりっとまとめられた髪の毛を見る
につけ、こちらまで気が引き締まる思い。清潔感にあふれ、初々しさの残る新入
社員にこれほどまでのすがすがしさを感じるのは、私が年をとったせいかも知れない。

しかし、残念ながら私の所属する部署に新人の投入はないような噂。それもそのはず、
今、私のグループにはゾクゾクと外国人が入ってきている。

先月フランス人、今月アメリカ人、来月スペイン人。すでにアメリカ人ネイティブは
2名いるので、英語ネイティブだけで3人になる。最初は、フランス語のexchangeが
できる、などとスピーキングの上達を当て込んでいたのだけど、こうも多国籍軍に
なってくると、これから一体どこまでいくのかと心配になってきた。ふと気が付くと
日本人の友達がほとんどいない私にとって、職場までが外国人に浸食されてくる
今日この頃、一体どう対処していけばいいのかわからなくなってきている。

それでも、やはり外国人の中にいると心地よい。
一方、時にネトウヨではないかと思うほど、私はこの国が好きだ。そしてその傾向は
年々強くなってきている。

日本語や日本文化、そして何より、日本人が好きで好きでたまらない。こんなにも
素敵な人たちは、世界広しといえども他にいないと思う。勿論、日本人にも変な人は
山盛りにいる。しかし、こちらが予想だにしない、あこぎなマネは絶対にしない。武士道
の精神が為せるわざか、心の中に「ある一定のライン」がある。そして、達観にも似た
潔さや、詫びるという行為を知った人種だ。

こんな気高いルールは、日本人以外には決して通じない。

一昔前、右翼はパープーで左翼にはインテリが多いなどという触れ込みと風潮のもと、
日本人はありとあらゆる愛国心から遠ざけられてきた。でも、外国に行って、自分の
目で外の世界を見始めると、逆に日本が好きになるのはどうしてだろう。
国粋主義とも軍国主義とも違う、純粋で健全な意味での愛国心というものが存在していて、
それをもつことは恥ずかしいことではないと知るときが来たのだと思う。

ネトウヨとコスモポリタニズムという、二律背反でアンビバレントな心。
しかし、私の中ではこの二つが何の無理もなく共存している。それは、例えば自分を
愛せない人が他人を愛せないように、自国を愛せない人は、他国に敬意を払えない
ものだと思っている。

周りの外国人とうまく折り合いをつけてやっていくための暗黙の了解として、どんな
ことがあってもお互いの国の悪口を言わないことが最低限のマナー。私の失敗談として、
以前、福島の放射能漏れについてフランス人の友人に嫌味を言われた私は、つい
「日本の放射能漏れは、自然災害の不可抗力。人殺しのための核実験を、自国から遠く
離れたムルロアで何度も行ったフランス人にものをいう資格はない。今度、核実験が
したくなったら太平洋ではなく、パリの真ん中でやればいい」と、言い放ち、
気まずい思いをしたことがある。勿論、仲直りはしたものの、やはりそれぞれ自分の国が
好きなのだ。ここまで言ってしまう私が自分でも怖いと思うけど、言った内容については
今でも間違っていないと確信している。

日本にいる外国人は、日本や日本人が好きで居座っている人が多い。2年前の災害で
さらにそれがはっきりした。

ビジネスのためでも生活のためでもない。たとえ地震、台風、放射能、そして、何を
するかわからない電波な隣国たちにとり囲まれている日本でも、この国を愛してくれる
人たちがいる。それは勿論アジアの人たちも同じ。コンビニでバイトをする金さんや
趙さんはいずれ母国に帰って、日本はそんなにひどいところじゃないよと言ってくれる、
そんな日本でありたい。

そして私も日本が好きだ、と胸を張っていいたい。


Slava — 天国の歌声
今日は風が強い。

窓の外は春の嵐。遅咲きの桜も、荒れ狂う嵐の中に舞い散り、初春の終わりを告げている。
窓ガラスをたたく風のように乱高下を続けた私の心、こういう時こそクラシックが慰めて
くれるということを忘れていた。

こんな日は外に出ることなく、部屋のCDラックを開く。
バロック曲集の中からお気に入りのCDを選び、トレーにのせて音楽を待つ。

パッフェルベルのカノン、G線上のアリア等の有名どころに続いてアヴェマリアがかかる。

イントロが始まると同時に全身を包む戦慄にも似た感動。
繊細な振動を伝える空気の流れが、まるで目に見えるかのように部屋中に広がる。
風に吹かれた雲が流れ、日差しに陰影をつくり、そして、その影が部屋の中を
通り過ぎていく。

その幻影の中に流れるアヴェマリア。

古今東西、数多くの作曲家がこのテーマで曲をつくり、そして、多くの国籍の歌手が
歌い継いできた。

この中でも、私の一番のお気に入りはカッチーニのアヴェマリア。
そして、この物悲しい曲調にもっともふさわしいのは、女性でも男性の声でもない、
カウンターテナーのSlavaの声。なぜに彼の歌う聖母マリアはこれほどまでに哀愁が漂う
のだろう。

もし本当に天国というものがあって、そして、この現世でそれにふれることができると
すれば、それは彼の歌うアヴェマリアの中にある。
彼のCDが日本でヒットしていた事実を私は知らなかった。その年をはさむ数年間、私は
日本にいなかった。とある場所でこの声を耳にした瞬間、一体、誰の歌うアヴェマリアか
確かめざるを得ない衝動に駆られた。

ロシア出身、ベラルーシ出身といろいろな出自があるものの、彼の顔を見た瞬間から、
スラブ系の人ではないことを実感した。おそらくまたユダヤ人の血が混じっているのでは
ないかという直観。

その後、wikiでイスラエル国籍を取得とあったのを見て、なるほどと思った。

彼が公表しているかどうかわからないので、ここで彼の出自をどうのこうのという気もない。
そんなことはどうでもいいことなのだ。

芸術の素晴らしいところは、ロシア(もしくはベラルーシ)といった、宗教自体がない
ことになっていた地で、ユダヤ人の声で奏でられたカソリックの聖女の曲が、こうして
やはりキリスト教とは関係のない地球の裏側の日本で、私の心を揺さぶるということ。
まさにこの事実につきると思う。

言葉や文化、宗教やイデオロギー、人種や性別といったありとあらゆる「ちっぽけな差」を
超越したところの極みに、彼の歌声があるのだ。

街を歩いていても、偶然つけたテレビから流れてきても、彼の声が心に届いた
瞬間から、私の魂の離脱が始まる。不用意にも涙がとまらず瞬時にうつむきながら、
思わず神様にありがとうを言いたくなる、そんな力をもった曲が
このSlavaのアヴェマリアです。

http://www.youtube.com/watch?v=4SuBRsPt1Mo


言葉ひらひら
先日カラオケルームでのこと。

いつものようにヒトカラを楽しむ私は、その日、ちあきなおみの「夜へ急ぐひと」を
フリ付きで熱唱していた。これは、中島マリさんの物マネで一躍有名になった曲で、物マネを
見た人は異口同音に「誇張しすぎ」という。でもね、そこがちあきなおみの侮れないところ。
どうぞ本物をご覧ください。

www.youtube.com/watch?v=E8PxRNZRAU0

すごいでしょ、決して誇張ではないのよ。

でも今日の本題は、ちあきなおみさんではない。私は「おいでおいで」を歌いながら、
次の曲に演歌を選んでいた。4~5時間のヒトカラを何ブロックかに分けて、ジャンルごとに
歌ったりする私は、この時、演歌モードの真っただ中。次に「望郷ながれうた」という
ちょっとマニアックな歌をいれようとした私は、コントローラーの濁点部分のタッチパネルが
やられてしまっているのに気付かず、何度入れても「ほうきょうなかれうた」になることに
イライラしていた。その時、漢字変換されないひらがなの字面を見ながら、マイク片手に
ソファーに倒れた。

私の頭の中では「豊胸泣かれ歌」「豊胸勿れ歌」「豊胸流れ歌」など、勝手に漢字変換が
されていき、その都度ツボにはまる。彼氏のために豊胸手術で巨乳になった彼女が、
サプライズで彼氏にビーチクをさらすなり、生々しい傷跡に泣かれてしまったり、
シリコンバッグが破裂してグダグダになり、「もう豊胸すること勿(なか)れ」とか、
生理食塩水のバッグがゆるゆるで、仰向けに寝ると豊胸が左右になだれたり。もうなんだか
阿鼻叫喚なのだが、誰に話してもあまりのくだらなさに相手にしてもらえない。

同じようなことはいくらでもある。例えば、70年代のディスコブームの立役者に、
「アラベスク」というドイツの女性ボーカル3人組がいた。
カラオケで彼女らのヒット曲、「Fly High Little Butterfly」を入力して
いざ歌おうとイントロが始まるや、モニターに映し出された英語タイトルをみて息が
できなくなった。テロップの横幅が足りないのか、タイトルすべてが入り切らずに、
「Fly High Little Butt」状態に。

原曲のタイトルは、子供をスターにしたい母が、娘にを小さな蝶にたとえて、「空高く
飛び立ちなさい、私の小さな蝶々」のニュアンスなのだが、Butterflyの後半が切れて
buttになると、アメリカの口語でちょっと下品な「ケツ」の言い回し。

原曲では薄く感動的でさえあったこのタイトルが、今や「空高く飛び上がれや、
ちいせぇケツ!」みたいな。加賀まりこさんの名前が、スペイン語で「Caga, maricón
(ウンコしろ、オカマっ!)」になるように、語感というものは本当にあなどれない。

(なんか今日はいつもに増して下ネタ全開。ちなみに、スペイン語には
 楽しい単語がたくさんあるので、また日を改めて)

言葉の響きが好きな私は、つい同音異義に反応しては一人笑いがこらえきれずに、
これまで何度も失敗してきた。

たとえば、風邪薬のベンザエースのCMにほほ笑む私を、友人がいぶかしがる。あの
キャッチフレーズが私の頭の中で、「私は黄色の便座」に変換されていることを誰も
知らない。

いつも薄気味悪がられるので、もはや口にさえしないのだが、これまでに1度だけ、
周囲から賞賛されたことがあった。

以前、「性同一性障害」で登場した会社の同僚。女になったのがうれしくて仕方の
ない彼は、日々歌舞伎町を往復して、風俗のスカウトに飛び上って喜んでいたのは、既に
書いた通り。そういう自慢話に周囲がお腹いっぱいになっていることに気付かず、その日も
アヒル口でともちんアピールをしながら、同僚の男どもに、

「あたしって最近すっぱいものが好きで、妊娠したんじゃないかと思うの、ヒャヒャヒャ。
 お酢が好きで好きで」

などと言う。あまりの臆面のなさにも、つい私の心の声がほとばしり出てしまい、

「本当に好きなのはお酢じゃなくてオスでしょ」

と、毒を吐く。すると、周囲から拍手が沸き起こり、この方面でのズレ加減では珍しく
人に褒められた。あれが最初で最後である。

イントネーションやアクセント、同音異義語の他にも、アナグラム系に語順が入れ替わること
でツボにはまる言葉、例えば...今、例を出そうとして、ふと昨夜見つけた木星さんを思い
出した。私のブログをエロチカサイトにリンクしてくれた人。まさに、これから出そうとして
いた例が、またシモ系。もしやこういう部分が、スカトロの衆を呼び集めてしまったのかも
知れない、と躊躇してみるが、すでにいまさら感があるのでそのまま書きます。

おこめ券→おめこ拳
ウコンの力→ウンコの力
まつだいらけん→けつだいらまん

などなど。ああ、また木星さんにリンクされる。

今後は少しトピックスを上の方にシフトするように努力します。

皆様、良い週末を。



私のブログが
うとうとと居眠りをしていた私の首周りに猫がまとわりついてきて目が覚めた。

このままでは風邪をひいてしまう、と歯磨きをして、キッチンのコーヒーカップを洗い、
猫を抱いて寝る準備完了。ちょっとだけネットを見て、と思ったのが運のつきだった。

今日初めて私のブログが他のサイトにでているのを確認した。ただ、やはり私が
扱っているものがマニアックなせいか、いささか怪しげなサイトに張り付けられていて、
嬉しいのか悲しいのか複雑な気持ち。

1つは、1月に書いた「アイドル三井比佐子」の中で触れたおにゃん子ニャンギラス
の立見里歌さんについて紹介されていた。

もう1つ見つけた掲載サイトは、2ch Leakの実況headlineにあるサイトで、そこの
スレッドタイトルが、

[木星]]画像ケツ穴周りの毛に除毛クリーム使った結果ww
[木星]ふえぇ・・・おしっこもれちゃったよぉ・・・
[木星]偽乳でもオナニーできればいいやん

などなど、何やら得体が知れない。とても怖くて開けないのだけど、その横の関連
サイトの上から2番目にしっかり私のブログがリンクされていた…

関連しているのね、私のブログ。このブログはリンクフリーだし、むしろ歓迎。こんなに
テキストばかりの支離滅裂な雑考を読んでいただけるなど、光栄の極みではあるのだけど…
なんかすご過ぎる。しかも今日書いたこの内容は、昨日の「聖フランチェスコ」の上に
アップされるのよね。

それでも、自分の書いたものが、知らないところで一人歩きをしているのを知るのは楽しいこと。
たとえそれがスカトロ風味の関連サイトの1つだとしても、それは少なくとも誰かが読んで、
面白いと思ってくれた証拠だもの。ちょっと励みになったかもw

これからも私が楽しいと思うこと、嬉しいと思うこと、悲しいと思うことを日々綴って
いこうと思います。

[木星]さん、ご紹介いただいてありがとうございます!


聖フランチェスコ
私はヨーロッパの城郭や教会をめぐるのが好きで、旅行の際には必ず時間を割いて
訪れている。特に教会は長いヨーロッパの歴史の中で、人々の生活に欠くことのできない
存在だっただけに、そびえたつ尖塔はどこの街でも中心に位置していて、そして人の集まる
広場を形成している。

時を告げる鐘の音、少年隊の奏でる聖歌、美しいステンドグラス。中世の時代の教会世界は
勿論、負の遺産であったかも知れない。しかし、いずれにしてもヨーロッパの文化や芸術は、
その基盤にキリスト教を押し抱いている。

小学生の私は、日曜日の午後になると決まってテレビの名画にチャンネルを合わせていた。
その日は大好きなドラキュラ映画を期待していたにもかかわらず、中世の修道士の映画が
始まりとてもがっかりした記憶がある。

一挙に興味の薄れた私は、寝転がって猫とじゃれつき所々画面を拾い見しながら、
いつ外に出て行こうかと悩んでいた。
それからものの5分ほどで、私は画面にくぎ付けになっていた。

映画のタイトルは「ブラザーサン・シスタームーン」

中世の聖人聖フランチェスコの生涯を、歴史を描かせたら右に出る者のいない、フランコ・
ゼフィレッリ氏が監督、脚本。イギリスとイタリア合作で、ロケ地は勿論イタリアだ。

裕福な家庭に生まれたフランチェスコが、戦争を体験することで「生きていること」
そのものに目覚めていく。拝金主義の豪商である父や、理解しようとしてもできない
母を捨てて野に下る。ひとりの修道士になった彼は、打ち捨てられたサン・ダミアノ教会
の再建に取り組み、何ももたず何も欲せず、ただただ清貧に徹し、世に打ち捨てられた
弱きものたちとともに生きていく。

映画の最後では、当時絶頂を誇り、権力闘争と欲にまみれた教会社会の腐敗をただそうと
ローマに乗り込み、インノケンティウス3世に謁見。彼らの教団が認められるまでの
ストーリーになっている。

映画全体に吹き抜けるすがすがしい風や清涼感。「愛」という永遠普遍のテーマ。決して宗教
臭くないストーリー仕立て。イタリアの空と太陽。そして、何より全編にわたり挿入された
ドノバンの歌声。

生きることの意味、死ぬことの意味。人とともに、そして、神とともにいきること。

一体どこまで理解できたのかわからなくても、以来、私の心の奥底にフランチェスコが
住み着いてしまった。時に何度も見返しては、同じところで涙を流す。エル・グレコの描く
フランチェスコに魅了され、油絵で模写をしたりもした。

先日、新ローマ法王に就任されたフランチェスコ1世は、この聖人にちなんでの命名という
ニュースを聞いて胸が熱くなった。ローマの友人宅に滞在した1週間、毎朝早起きして
バチカンまで出かけた。彼の歩いた回廊をめぐりながら、フランチェスコに思いを馳せた。
唯一の心残りは、彼の生まれ故郷アッシジまで足を延ばさなかったこと。先日書いた
マチュピチュやフランスのルルドと並んで、私が訪れたい街の一つだ。

心がかさかさして、何もかもが面倒に感じられるそんな時は、今でもふとブラザーサン
シスタームーンが見たくなる。


雨と傘袋
今日は雨。雨の日に電車に乗ると、遠い昔の記憶がよみがえる。

あの日、私は有楽町線に乗ろうとしていた。地下鉄の構内に入る前に傘をふって
クルクルととじる。これでほかの人に迷惑はかからない、そう思って階段を降りた。
駅のホームでは発車間近のアナウンスがなり響き、焦った私は目の前の車両に
飛び乗った。

平日の午後、何の変哲もない地下鉄の風景。当時有楽町線は支線で行き止まり。
やがて将来は西武線につながるという、過渡期の枝線だった。

雨のせいか車内に人影はまばらで、私を含めて4人しか乗客はいない。
ゆっくりとドアが開き、そのうち2人が降りて行った。

その代わりに乗り込んできたのは、スーツを着たサラリーマン。シルバーグレーに
口ひげをたくわえて、どこぞのジェントルマンなたたずまい。長身の痩せ型でダーク
スーツを着ていた。どことなく小泉元首相に似ている。そんな彼を見るともなしに
目をやり、この車両には私と彼以外に遠くの席で爆睡する学生が1人であることに
気づく。

「ふぅん、珍しいこともあるものね」

私はそれまで読んでいた本に再び目を落とす。この人数では大好きな人間観察もできず、
あとひと駅の時間を本に専念することに決めたのだ。

先ほどのダークスーツに身を包んだ紳士が私の前を通り過ぎる気配。車両の端まで
歩いた彼は、何故かそこで踵を返し、こちらに逆戻りしてきた。

私には妙な直観があって、何か自分に悪影響を与えそうな業況が迫ると、ビンビンと
私の中で何かが騒ぐ。この時も何かいやな生臭さを感じて身を固くしていると、案の定
この紳士が私の隣に腰かけた。怖さ半分、でも、何を仕掛けてくるか興味半分。地下鉄の
窓はその暗闇を背景に鏡に生まれ変わる。私は顔を上げしっかりと正面を見据えた。
すると、同じく窓ガラスに映る私の顔を見つめる紳士と目があい、鳥肌が
たつ。

小泉元首相のようなライオンヘアに、顔もまた鼻筋の通った丹精な横顔。彼は窓ガラス越し
に私に向かってにっこりとほほ笑んだ。ハンニバルのアンソニーホプキンス演じる
レクター博士というか、シャイニングのジャック・ニコルソン、はたまた伝説のロシアの
殺人鬼チカチーロの目。口元しか笑わない狂気の眼差し。

ちょっと怖いと感じたその瞬間、彼の手が動いた。
おもむろにビジネスケースからくしゃくしゃにまるまった半透明のビニール様のものを
とりだした。シャリシャリとそれを広げる間も、車窓の中の私から目を離さない。
そして、そのプラスチック状のものを口にあてると、あん、と吐息を漏らしながら
次に大きく息を吸い込み、その塊に息を吹き込んだのだ。

するとまるで命を吹き込まれたかのように、それは伸びていく。

シュルシュルシュルルルル

何のことはない、ビニールの傘袋である。
雨の日、デパートやスーパーの入り口に置いてある、雨傘用の薄いアレである。

随分と思わせぶりに溜めた割には、傘袋を膨らますオチ?きっと傘をしまおうとしたのね、
とつまらない進展にまた本を開く私。それが油断だった。傘袋を膨らますのに、
わざわざぴったりと私の隣に座る必要などないのだ。

「ジジジ…ジジジ…」

隣でジッパーを開ける音がする。そっと目をやると、そこには先ほどの傘袋の入り口に
ご自身をあてがった紳士が、満面の笑みでこちらを見つめていた。

不意打ちを食らい動揺する私の目の前で、紳士は傘袋の中に用を足している...
ゆんゆんと上昇を続ける液体はちょうど入り口手前でとまる。
紳士は少し余った傘袋の端をキュルキュルと器用に結ぶと、まっすぐステッキ状に
なった傘袋を片手に次の駅で降りて行った。

以前の日記「錦糸町」で登場したおじさんは、申し訳ないが、いかにも
魚の目やニューハーフの肛門を突き刺しそうな風情だった。だから警戒もできたも
ものの、今回の小泉さんはあまりに紳士だったので、つい油断してしまった。

後日、さっそくこの話を同僚に話すと、男ひでりが高じた喪女の白日夢だとか、
さすが千年女王の願望妄想はケタが違うなどと、誰もとりあってくれない。一体、私の
願望はどれほど安いのだろう。あと、千年女王って何よ?

でも、私は確かに見たのだ。

以来、雨の降る日のデパートで、私は彼を思い出す。


イマヌエル・カント
2階に本をとりにいくと、ふとピアノが目に入る。ここ最近すっかり忘れ去られて
いた私のピアノ。もう夜だというのにゆっくりと蓋をあけて弾き始めた。

久しぶりで指が動かない。もともと上手くはないのだけど、しばらく弾かない
うちにさらに下手になっていてショック。ただ、20分ほど弾いていると、自然に指が
メロディに乗り始める。20分…ピアノを弾き始めて20分が過ぎると、私は眠くなる。

これは私だけなのかどうか、本当に気持ちがよくなってそのまま眠ってしまいたく
なる。指はそのまま動いているのだけど、まぶたが次第に重くなって、最後は
そのままベッドに直行することになる。

昨夜の30時間もさることながら、私は不眠というものを体験したことがない。
布団に入れば、ものの5分で眠りについてしまう。

そんな私の眠りをさらに加速させるのが、ピアノを弾くことと、そして、ある本を読む
こと。その本とは、カントの「純粋理性批判」。これまで一度も2ページ目に到達したことの
ない稀有な本である。同じ系統でもソシュールやバルトの構造主義やシュタイナーあたり
はもう少しページが進むし、カールヒルティーの「眠られぬ夜のために」などは、逆に
入り込みすぎて愛読書になっているというのに。

何故かカントは2ページ以上進んだことがない。カントには頭がついていかないのね、
私の場合。

そんな私が、国際関係の専攻でカントの「永遠平和のために」というのを読むように
強制された。国際関係論の中でもリベラリズムに属するとされるカント。彼の著作を避け
ては通れない学問だった。日本語でさえ2ページ目に届かなかったのに、18世紀に
書かれたドイツ語の英訳を読まされる恐怖。しかも内容はパープー、頭はパッパラパー。
ワンセンテンスが10行もある、関係代名詞山盛りの文章。難しい哲学用語の
オンパレードで、1文の最後にたどり着く頃には前半で何を言っていたか忘れて
しまうのだよ。

1日1歩、3日で3歩、3歩進んで2歩下がるこの人は、一体何をやっているのだ。いずれに
しても私の英訳カントはこのペースだった。

また、世のインテリというのは下衆なもので、自らの知性や学問を権威づけするために、
大仰な言葉や難しげな表現を使って読むものを煙に巻く。スタンダードと呼ばれる古典は皆、
さらにお堅い翻訳者によるガチガチの文体で読むものを遠ざけてしまう。ま、読む人が
読めばわかるのだから、単に私の脳が未発達なだけなのだけれど。

理想とする国家と個人の関係、つまり、誤解を恐れずにいえばカントの国家像は結構
お花畑だったりするかも知れない。ルーピーと比べてはなんだけど、いくら理想を語って
も、日本のように周囲が「基地外国家」ばかりだとお花畑だけでは成り立たなく
なってしまうもの。本当に日本人は高尚な理性と感性をもった民族だと思う。

つい熱くなって政治のかけらに触れてしまった。このブログを始めるときに、政治や国家、
また人権については触れないと心に決めていたのに。

ピアノとカントは私のソムニフェールというお話でした。

月曜日の朝に
そして、月曜日の朝。

朝の冷んやりと、しかし、凛とした空気が心地よい。
また急に寒くなり、昨夜は猫たちの出入りが激しかった。寒いと布団を抜け出して
トイレに行く回数が増えるのだ。

いつもの早朝各駅停車に座り、ふと昨日の記憶を辿る。土曜日の日記は、
「明日カットに行こう」で終わっている。そう、土曜日のあの時点では少なくとも
そう考えていた。

今朝、午前3時に目が覚めた私は、何で日曜のこの時間に目が覚めたのかわからない
ままにテレビをつけて、今日が4月1日であることを知る。全くもってエイプリルフール
である。

キツネにつままれた状態でシャワーを浴び支度を終えて、今、車内にいる。

30時間近く寝たのだろうか。どうりで今朝はすこぶる体調がいいと思った。
そういう問題ではないのだが、失った人生の1日を嘆いても仕方がないので、また一週間
頑張ろうと思う。


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